コラム 漫画『ガンスミスキャッツ』の歴史的背景解説
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
・目次
 ・始めに
 ・1990年代前半シカゴ暗黒街
  ・シカゴのインド系移民
  ・シカゴ/中西部への主要麻薬密輸ルート
   ・実はシカゴ到達は遅かったクラック・コカイン禍
  ・盗難車利権をめぐる抗争「チョップ・ショップ戦争」
  ・1980~90年代のシカゴ・マフィア
   ・ゴールディ・ムッソーの家族とは?
  ・ケン・ターキィとシカゴ日系人社会
 ・参考文献
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
・始めに
 筆者は以前、アメリカの漫画ジャンルの1つである「クライム・コミックス」について、ネットの日本語圏にはほとんど情報のない状況をどうにかしようとして、
 
「アメリカ・ギャング漫画-クライム・コミックス試論」
https://julyoneone.wordpress.com/2018/10/20/アメリカ・ギャング漫画-クライム・コミックス/
 
 という記事を書きました。
 しかし「クライム・コミックス」だけではどうも分量不足だと思ったために、後半におまけとして「日本漫画の中の「アメリカのギャング」」という章を付け加え、その派生として、2018年にはアニメ化もされている吉田秋生さんの有名漫画について、
 
「コラム 漫画『BANANA FISH』の歴史的背景解説」
https://julyoneone.wordpress.com/2019/08/13/コラム%e3%80%80漫画『banana-fish』の歴史的背景解説/
 
 という記事も書きました。
 この『BANANA FISH』は、「1980年代ニューヨークの白人ストリートギャング」という何気にかなりマニアックな題材を扱っているために、その背景にはちょっと解説が必要だと思ったからです。
 
 一方この『ガンスミスキャッツ』(1991~1997)については、特に解説が必要な漫画だとは思いませんでした。
 作者・園田健一さんがB級アクション洋画に親しんでいるからでしょうか、ストーリーの中心が地に足の着いた「バウンティー・ハンター対麻薬組織」で、その見せどころが銃器や車の描写だということもあり、「漫画とはいえさすがにこれは違うんじゃないか」というような目立った突っ込みどころがないからです。
 
 ただ、この漫画の舞台になっている「1990年代前半シカゴ暗黒街」については、あまり日本語で手軽に読めるような資料がないかなと思ったので、いくつかここに思いついたことを書いておきます(時代設定は明確な表記がなかったと記憶しているので、一応連載開始時の1991年と仮定)。多分これまでに出たファン同人誌などには考察本があるのではないかとは思いますが、こういう方面からの考察は、少なくともインターネット上にはないようなので、新しく読むという人はもちろん古くからの読者の方にも新しい視点を提供できるのではないかと思います。
 一般的に現実世界を舞台にした漫画では、「作品内で明確に否定されていないことは基本的には現実に沿っている」と考えているので、「この時期のシカゴに登場人物たちがいたらこんな感じなんじゃないか」ということを考えたこの文も、それなりに妥当なものになっているのではないかと思います。
 
 ちなみに筆者は、本作はかなり前に楽しく読んだはずですが、さすがに1990年代の漫画(続編は2000年代)ということで相当のことを忘れました。なのでwikipediaなどで記憶を取り戻しながら書いていますが、何か間違っているところがあれば申し訳なく思います。あくまでもこの文は「舞台背景」についてのものです。
 
 
 『ガンスミスキャッツ』の作者・園田健一さんは1980年代OVA作品のキャラクターデザインなどで有名な方で、1990年代前半の本作も牧歌的な時代のガンアクションを存分に味わえる面白い漫画です。
 今となっては画風は古い感じが否めませんが、むしろそこを逆手にとって「ヴェイパーウェイヴ」なり「シティ・ポップ」なりのお供として読んでも楽しめるのではないかと思います。文庫版は出ておらず新装版は今絶版状態のようですが、「少女+ガンアクション」は1980年代から今まで地味に続いている系譜なので、その中興の祖の1つとしても温故知新を楽しめる作品だと思います。似たような作品では、伊藤明弘『ベル☆スタア強盗団』なども面白いです。
 
(注:この文章は普段投稿している記事とは読者対象が違うので、ですます調で書いています)
 
 
 
 
 
・1990年代前半シカゴ暗黒街
・シカゴのインド系移民
 主人公「ラリー・ビンセント(アイリーン・ビンセント)」は、「(シカゴに住んでいる)インド系イギリス人」ということで、まずシカゴのインド系アメリカ人社会について簡単に説明したいと思います。
 
 
 20世紀前半にはアメリカ西海岸を中心に数千人程度だったインドからの移民ですが、シカゴに増えてきたのは1965年の移民法改正以後のことでした。
 インド人は薬剤師やコンピューター産業などの高度な職業についている人間を中心に、まず男性、次にその家族という形で移民し、1980年には全米第3位となる3万3541人が記録されています。
 一般的には民族社会内で固まり、政治的や文化的な存在感もあまりない人々で、インド系社会学者スディール・ヴェンカテッシュの著書によると、調査対象の黒人たちからはヒスパニックやアラブ人扱いされるのが当たり前だったそうです。
 しかし1984年にニュース番組『シカゴ・トゥナイト』のインド系初のリポーターになったチトラ・ラガヴァン(Chitra Ragavan)のように、1.5世や2世にはアメリカ社会の表舞台で活躍する人間も増えていき、2000年にはその人口は12万5208人にまで増加しました。
 
 参考文献欄の「Chicago Heritage: Asian Indians in Chicago」にいくつか写真が載っていますが、ラリーの家庭も母方はおそらくはあんな感じだったのだろうと思います。「(父方が白人でアメリカに住んでいる)インド系イギリス人」ということで、シカゴのインド系アメリカ人社会では白眼視されるアウトサイダーだったかもしれません。
 
 2021年現在のインド系アメリカ人は概して所得も教育も高く、「モデル・マイノリティーの中のモデル・マイノリティー」とでも評していいような存在です。
 アジア系アメリカ人の中では中国系(約510万人)とフィリピン系(約400万人以上)に次いで第3位となる約380万人の人口を持ち、近年の急速な人口増加で近い将来には中国系を超えるアメリカ最大のアジア系民族になるだろうにもかかわらず、犯罪やギャングにはほとんど縁のない存在です。拙文で恐縮ですが、より詳しいことが知りたい方は以下の文などを参照してください。
 
「ストリートギャング・南アジア人」
https://julyoneone.wordpress.com/2020/05/17/ストリートギャング・南アジア人/
 
 
 ただ、このままでは「『ガンスミスキャッツ』はインド系イギリス人女性を主役にした非常に希少な漫画だ」ということだけで終わってしまうと思いますが、実際にはその系譜・役割は、南アジア系というよりは「黒人(アフリカ系アメリカ人)女性」なのではないだろうかと思います。
 
 パム・グリアー主演の『コフィー』(1973)あたりから「戦う黒人・ヒスパニック女性ヒロイン」がアメリカB級アクション映画に出てくるようになったのに対して、インド系には男女ともにハリウッドでは目立った存在はいません。そういった映画に影響を受けた本作にインド系が出てくるのは、「黒人系女性」という、漫画で描くといまだにいろいろと「問題」になりやすいものから微妙にポイントをずらしているのではないかと思います(アニメ『ふしぎの海のナディア』(1990)などの影響などもあるとは思いますが)。
 
 上述のように、1990年代前半にはインド系はシカゴにはわずか数万人がいるだけ、その数万人も裏社会やギャングにはほぼ無縁なのに対して、シカゴ市人口の3分の1程度を占める黒人はこのころから暗黒街の主要民族の1つになってしまっていました。当然黒人女性も法執行機関・犯罪者側双方で荒事に関わる人間は多くなりましたが、2000年代にクライム・コミック・ルネッサンスが到来しても、アメリカン・コミックスには彼女たちを題材とした作品はないようです。「黒人女性」というのはアメリカ社会では良くも悪くも様々なイメージを持たれている存在ですが、本作は間接的ながらそういう人々に光を当てた作品でもあると思います。
 アメリカのクライム・コミックスは1960~1990年代の「おいしい題材」を同時代には逃してしまっており、ルネッサンス後の作品も白人作家のギャング映画や小説の「パスティーシュ(模倣)」に堕してしまっているような印象がすこしあるので、本作は『BANANA FISH』などと同じく、色々と穴が多いクライム・コミックスを陰ながら補完している作品でもあるように思います。
 
 
 ちなみに、バウンティー・ハンターというのは基本的にマッチョな白人男性の仕事のようですが、数少ない女性ハンターとしては、スー・サーキス(Sue Sarkis、1948~)、ドミノ・ハーヴェイ(Domino Harvey、1969~2005)などが知られています。ここで名前を出すのもおかしな人ですが、ラリーのやや上の世代のシカゴの黒人女性には、前大統領夫人のミシェル・オバマ(1964~)がいます。ラリーを1970年代前半生まれとすると10歳ほど年上になります。
 
 
 
・シカゴ/中西部への主要麻薬密輸ルート
 『ガンスミスキャッツ』のストーリーではコカイン密輸が重要な要素になっていますが、ここでは1980年代のシカゴへの麻薬密輸ルートについて説明したいと思います。
 
 
 アメリカ中西部に位置するシカゴは、1920年代禁酒法時代以来の「ギャングランド」であり、そこから現在までおおよそ100年の間麻薬の巨大消費地及びハブ地でもありました。
 
 おおよそ1970年代ごろまで、アメリカの「麻薬の王様」はヘロインであり、その取引は輸入も国内流通も主としてイタリアン・マフィアの仕切る世界でした。
 1950年代創設のトルコ→「旧フランス領レバノン→フランス南部マルセイユ→旧フランス領ケベック州モントリオール」→アメリカ・NYとフランス系人脈を伝った「フレンチ・コネクション」、1970年代に上記ルートのマルセイユをシチリア島に置き換えた「ピザ・コネクション」などの有力密輸網が、キューバやラスヴェガスを失って弱体化しつつあったマフィアの延命に大きく役立ちました。シカゴではアル・カポネの後継者にあたるシカゴ・アウトフィット(マフィア)が暗躍し、このルートなどで密輸したヘロインを売りさばいていました。
 
 しかし1980~90年代を通して、高齢化と警察の締め付けを主因としてアメリカのかなりの数の都市でマフィア・ファミリーが壊滅、「全米的なイタリア系麻薬密輸網」の別称だった「ラ・コーサ・ノストラ」も形骸化していきました。
 
 
 ヘロイン以外の主な麻薬としては、アメリカ国内にも巨大産地があるマリファナ、主として南米からくるコカイン、製造が比較的簡単な覚せい剤がありましたが、「麻薬の王様」ヘロインの地位を揺るがすようなものではありませんでした。アメリカン・マフィアにとってのヘロインは日本ヤクザにとっての覚せい剤にも似た「生命線」でしたが、その他の麻薬は利幅が小さく、扱う素人も多いために、マフィアが本格的に注力することはありませんでした(本国のンドランゲタなどはまた別)。
 非イタリアン・マフィア系の麻薬密輸網で最も巨大だったのは、イタリア系がかむ余地の少ないメキシコ→シカゴルートであり、メキシコ・ドゥランゴ地方を拠点にしていたヘレッラ一家などが活動していました。
 
 
 1970年代、あまりにも蔓延しすぎたヘロインの評判が悪くなったことなどが原因で、アメリカでは白人富裕層中心にコカイン・ブームが到来します。卸売りレベルで活躍したのは、南米→カリブ海→フロリダのルートを持つキューバ人、コロンビアン・カルテルのコロンビア人、長大な国境線を利用できるメキシコ人、アメリカ国籍を持つプエルトリコ人、白人中心の「コカイン・カウボーイ」たちですが、小売りのレベルでは次第に黒人貧困層青少年が大多数を占めるようになっていきました。
 1980年代にはパウダー・コカインに混ぜ物をして作る「クラック」が大流行し、東海岸のジャマイカン・パッシとLA/西海岸のクリップス/ブラッズが中心となって全米各地にこの麻薬をはびこらせていきます。
 
 こうして1980年代後半~1990年代前半にアメリカ中に蔓延したコカイン(クラック・コカイン)ですが、小売りの主力だった黒人青少年たちは、まず密売人たちの麻薬戦争で多くの殺害、次に政府による反麻薬戦争で多くが収監され、アメリカ暗黒街の様相は大きく様変わりしました。2010年代になってもシカゴは平均して年約500件前後という、日本一国の殺人被害者数を上回る殺人数を記録していますが、その被害者のほとんどは黒人青少年で、年々増え続けるラテン系すら十数パーセント程度を占めるだけです。
 
 
 劇中でラリーがビーン・バンデットに対して、麻薬密輸をやめろと何度も言うわけですが、おそらく彼女は麻薬で荒廃したシカゴのストリートをまざまざと見ていたのでしょう。ラリーたちの「同時代人」であるバラク・オバマの自伝によると、この時期のシカゴは本当に荒んでおり、彼は「車いすの少年ドラッグディーラーの瞳の奥にゾッとするものを見た」そうです。
 ビーン・バンデットや「リフ・ラフ」がどこからシカゴに麻薬を運んでいたか、持ち出していたかはわかりませんが、シカゴからの主要ルートは、南のメキシコ国境→シカゴ→東北のデトロイト、東のニューヨーク、北のカナダ国境などがあります。DEAによると「基本的にシカゴからは国中に麻薬が送られる」そうです。2010年代の記事なので少し当時と事情は異なりますが、麻薬密輸ルートの詳細は参考文献欄の「16 Maps Of Drug Flow Into The United States」「These DEA maps show how much of the US drug market ‘El Chapo’ Guzmán’s cartel controls」をご覧ください。
 
 
 余談ですが、第46代大統領ジョー・バイデン(1942~)は、この麻薬汚染を取り締まる「反麻薬戦争」での厳罰化政策で頭角を現した人物でした。1988年にその「功績」を引っ提げて大統領選を闘うも民主党の正式候補にはなれずに敗退、そこから32年間チャンスを狙い続けて80歳間際でやっと大統領になれた「執念の人」なわけです。
 
「コラム 反麻薬戦争とジョー・バイデン」
https://julyoneone.wordpress.com/2020/11/28/コラム%E3%80%80反麻薬戦争とジョー・バイデン/
 
 
 
・実はシカゴ到達は遅かったクラック・コカイン禍
 上記のように、1980年代後半~1990年代前半というのはクラック・コカイン禍(Crack Epidemic)がアメリカ中を覆った時期ですが、しかし実はシカゴというのは、クラック到達が微妙に遅れていた土地でした。地元の黒人ギャングが強いシカゴにはジャマイカ系もLAギャングも割り込めず、地理的な理由もあって、クラックの流行は1980年代終盤になったのです。ナタリー・ムーア(Natalie Y. Moore)の著書『オールマイティー・ブラック・P・ストーン・ネーション(The Almighty Black P Stone Nation)』は、有力黒人ギャング、ブラック・P・ストーンズが、自分たちの麻薬利権を守るためにLAからくるディーラーを追い払ったことを伝えています。
 
 本作中、何巻の何ページかは失念しましたが、白人大学生の麻薬密売人が「助けてくれてありがとう! 大学で売っているコカインをお礼にあげるよ」とラリーに告げるシーンがあります(うろ覚え)。
 1970年代~80年代前半には、コカインはああいった金持ちの「パーティ・ピープル」用のドラッグだというイメージがありましたが、クラック禍時代にはコカイン取引では暴力沙汰が当たり前となり、LAやNYなどではお小遣い稼ぎ感覚の白人ディーラーは警察と黒人やラテン系のギャングたちに板挟みにされて駆逐されていきました。
 1991年にああいう能天気な人がいまだにディーラーをやっていられるのは、実は全米的な麻薬の流行にシカゴが少し遅れていたからなのです(大学内の取引ではストリートの売人たちとは食い合わないので、これはちょっと無理のある考察かもしれません)。
 
 ちなみに、有名な実話系ジャーナリストのセス・フェランティ(Seth Ferranti、1972~)も、大学でLSDを売っていたために20年近い刑を宣告されて、獄中でジャーナリストになった人です。
 まさにこの「『ガンスミスキャッツ』に出てきたあの大学生密売人」のその後みたいな人だな、と彼を見ると時々思うわけですが、こういうヘンな感想が自分1人で終わるのは少しもったいないのでこの文を書いたというところもあります。
 
 
 
・盗難車利権をめぐる抗争「チョップ・ショップ戦争」
 『ガンスミスキャッツ』で重要な役割を果たすビーン・バンデットや「リフ・ラフ」などの犯罪者系カーマニアたちは、おそらくは「常識」として知っているだろうことですが、本作の舞台となる1991年の数年前までシカゴでは、マフィア対車両窃盗犯たちの「チョップ・ショップ戦争(The Chop Shop Wars)」と呼ばれる有名な抗争がありました。
 
 
 1960年代のシカゴでは、盗難車は「チョップ・ショップ」と呼ばれる解体屋に持ち込まれ、そこでパーツごとにバラで、もしくは複数の車のパーツを使って別の車に組み替えるなどして売られて換金されていました。車両窃盗は最盛期となる1978年には約4万台が盗まれるほどにビッグ・ビジネス化、当然目を付けたマフィアが独立系の車両窃盗犯たちに対して売上金の一部を「税金」として要求するようになりました。
 
 1960年代、この車両窃盗ビジネスで最も力を持っていたのは、シカゴ・アウトフィットの正式メンバー、アルバート・トッコ(1929~2005)でした。
 しかし1969年ごろ(63年?)にはトッコが3~4年の刑を宣告され服役、その車両窃盗ビジネスは、1920年代後半~30年代前半の「シカゴ・タクシー戦争」で活躍した古株メンバー、「ザ・ボマー」ジェームス・カトゥアラ(1905~1978)が奪い取りました。カトゥアラはサム・アッネリーノ、グイド・フィダンツィ、リッチー・フェラッロなどの凶悪な殺し屋を配下に抱え、1971年6月17日に車泥棒兼レーサーだったロバート・プロンガーを「失踪」させるなど、強引な手口で「税金」を巻き上げるようになっていきます。
 
 1973年にはトッコが出所し、1971年から1983年まで約20名以上が死亡した「チョップ・ショップ戦争」が本格的に幕を開けることになります。
 トッコは1977年6月25日にアッネリーノを殺害、1978年6月28日にはカトゥアラを殺害するなどして(いずれの事件でも有罪になっていないので確実なところは不明)、マフィア内部では盗難車利権を完全に掌握します。これによってトッコはアウトフィット有数の稼ぎ手になったそうですが、彼はそれに飽き足らずに、1983年まで独立系の車両窃盗犯たちへの恐喝と殺害を続けました。
 
 アルバート・トッコはいずれの殺人での逮捕・起訴も逃れましたが、その栄華は長くは続きませんでした。
 1988年には連邦法での起訴を恐れてギリシャへと逃亡するも、FBIが息子を餌に使っておびき寄せてアメリカで逮捕、1990年には恐喝や脱税などで200年の刑期を宣告され、2005年に獄死しています。ちなみにこのトッコには、マーティン・スコセッシ監督映画『カジノ』(1995)のラストで描かれる1986年のスピロトロ兄弟殺害に参加していたという話もあります。
 トッコの逮捕後車両窃盗ビジネスはドミニク・パレルモが引き継いだそうですが、1991年にやはり収監され、防犯技術の進歩もあって徐々に下火になっていったようです。1988年にはロバート・プロンガーの弟ジョンも何者かに殺害されています。
 
 また、1988年7月1日付のシカゴ・トリビューン紙は、やはりマフィアがポルノ店やマッサージ・パーラーなどを恐喝する「ポルノ戦争(PORN WAR)」について報道していますが、こちらはどうやらそこまで大事にはならずに納まったようです。
 
 
 劇中ではワンマン・アーミー状態のビーン・バンデットはともかく、「リフ・ラフ」はマフィア・車両窃盗犯双方にずいぶんと苦労させられただろうと思います。作中でもせっかくのビーンとのカーレースを、同乗していたマフィアの殺し屋に邪魔されるところがあったと思いますが、何せパンク系の彼女がマフィアに逆らえるわけもなく、勝負はグダグダになりました。カーマニアにとって車泥棒は天敵だと思いますが、それをやっているマフィアの密輸仕事を受けることにはいろいろと複雑な考えがあったのではないでしょうか。
 
 
 
・1980~90年代のシカゴ・マフィア
 1920年代後半のボス、アル・カポネが、全米どころか全世界的に悪名をとどろかせるほどに暴れてしまったために、その後継者たちは「オメルタ(沈黙の掟)」を重視するマフィアの中でも特に秘密主義的な存在になりました。
 
 20世紀後半には、公式のボスはアル・カポネの片腕だったトニー・アッカード(1906~1992、在位1947~1992)が務め、その下に警察の目くらましに作られたフロントボスと実働部隊の長であるアンダーボスが数人続きます。シカゴ・マフィアのボスと言われる人物は複数いますが、基本的にアッカード以外は後者2つの役職の人間です。
 
 これはたぶん日本ヤクザで例えると、住吉会や稲川会にあるような、「総裁(ボス)-会長(フロントボス)-組長(アンダーボス)」のようなものだろうとは思いますが、これによって長年シカゴは誰が本当のトップなのか分からない状態でした。服役、逃亡、偽装降格などで力関係が変わるうえに、日本ヤクザのように跡目継承儀式や公式文書で人事異動を知らせるといった習慣もないので、内部の人間でも末端のソルジャーレベルだと誰が本当のボスか分かっていなかったのです。サム・ジアンカーナ(1908~1975、在位1957~1966)は正式なボスだと思われていましたが、実際にはアッカードにいちいちお伺いを立てていたという話もあります。そういう話は警察の心証が悪くなるために、内部でも「うわさ」として処理されていたのだろうと思います。
 
 
・ゴールディ・ムッソーの家族とは?
 wikipediaによると、後半の敵「ゴールディ・ムッソー」の年齢は1991年当時34歳。ということはおそらく1957年生まれで、父は1920~30年代生まれ、祖父は1890年代~1900年代生まれと推測できます。
 イタリア移民1世の祖父が1920年代禁酒法時代か1930年代大恐慌時代に地盤を築き、移民2世の父が1940~60年代のマフィア全盛期に合法事業なども発展させ、3世の彼女は女性ということもあり全くの堅気になることを期待されていたと思われます。これは『ゴッドファーザー』のコルレオーネ一家などとほぼ同じです。
 
 18歳の時に父と兄を殺害されたなら、おそらく1975年ですが、奇遇にもこの年にはケネディ暗殺に関与していたといわれるボス、サム・ジアンカーナ(1908~1975、在位1957~1966)が殺害されています。娘のアントワネット・ジアンカーナには『マフィア・プリンセス』という著書もあります。別にモデルとかではないと思いますが。
 
 ちなみに、マフィアの「ゴールディー」で一番有名なのは、NY5大ファミリーの1つボナンノ一家のアソシエイト、「ゴールディー」デュアン・レイゼンハイマー(Duane “Goldie” Leisenheimer)だと思います。
 
 
 
・ケン・ターキィとシカゴ日系人社会
 1986年に伊藤一男『シカゴ日系百年史』という本が書かれている、つまり19世紀後半に始まる長い歴史があったにもかかわらず、1940年には390人しかいなかったというシカゴの日系人ですが、第二次世界大戦中にWRA(War Relocation Authority、戦時転住局)による西海岸からの強制転住者が増加、約2万人に膨れ上がりました。戦争が終わっても相当数が西海岸には戻らずにシカゴに残り、1960年時点では1万5000人が居住していたようです。2000年にはシカゴ市内に5500人、シカゴ郊外圏に17500人が確認されています。
 
 日系ギャングの有名な人物としては、シカゴ・アウトフィットの有力アソシエイトにまでなったケン・エトーがおり、他に筆者に思い出せる限りでは、1970~80年代のシカゴ有数の白人ストリートギャング、ゲイローズのマイケル・スコットの自伝『Lords of Lawndale』にも、「サー・ジャップ」「リトル・ジャップ」がいます。
 
 ただwikipediaを見ると、ケン・ターキィはアメリカ生まれの日系人ではなく日本生まれの人間のようで、そういう戦後の新移民だとちょっと別の話になります。昔からの日系アメリカ人と戦後になって新しくアメリカに移住した人々の間には、いろいろとわだかまりがあったりなかったりするようですが、この記事で扱うような話ではないので、ここらへんで終わりにしたいと思います。登場人物が非常にオルタナティヴな属性をいくつも持つというのは、キャラクターの魅力につながっているのですが、その反面ここはこうなんじゃないかという推理がしづらくなるからです。
 
 
 
 
 
 
「コラム 漫画『ガンスミスキャッツ』の歴史的背景解説」参考文献
・全体
「ガンスミスキャッツ」
https://ja.wikipedia.org/wiki/ガンスミスキャッツ
「ガンスミスキャッツ・ファンホームページ!!」
ttp://www.gunsmithcats-fan.com/
 
・インド系アメリカ人
「Chicago Heritage: Asian Indians in Chicago」
https://yesterdaysamerica.com/chicago-heritage-asian-indians-in-chicago/
「Indians」
http://www.encyclopedia.chicagohistory.org/pages/635.html
「Ethnic groups in Chicago」
https://en.wikipedia.org/wiki/Ethnic_groups_in_Chicago
「Indian Americans」
https://en.wikipedia.org/wiki/Indian_Americans
「Domino Harvey」
https://en.wikipedia.org/wiki/Domino_Harvey
 
・シカゴ/中西部への主要麻薬密輸ルート
「16 Maps Of Drug Flow Into The United States」
https://www.businessinsider.com/16-maps-of-drug-flow-into-the-united-states-2012-7
「These DEA maps show how much of the US drug market ‘El Chapo’ Guzmán’s cartel controls」
https://www.businessinsider.com/el-chapo-guzman-caught-control-of-us-drug-market
「Chicago Has Been Spared Full Force of Crack Epidemic」
 -「From the beginning, one of the mysteries of the crack epidemic has been why it largely passed Chicago by.」
https://www.latimes.com/archives/la-xpm-1989-12-03-mn-443-story.html
 
・盗難車利権をめぐる抗争「チョップ・ショップ戦争」
「The Chop Shop Wars: Mafia In Chicago Assumed Control Of Car-Theft Industry In Brutal Fashion」
https://gangsterreport.com/the-chop-shop-wars-mafia-in-chicago-assumed-control-of-car-theft-industry-in-bloody-fashion/
「Outfit Money: The Auto-Theft Business」
 -ちなみに、本当かどうかは知りませんが、この「gangsterbb.net」はFBIが運営しているといううわさがあります。
http://www.gangsterbb.net/threads/ubbthreads.php?ubb=printthread&Board=8&main=35481&type=thread
「Albert Tocco」
https://en.wikipedia.org/wiki/Albert_Tocco
「Al Tocco」
https://mafia.wikia.org/wiki/Al_Tocco
「CAR-THEFT FIGURE SLAIN AT HIS HOME」
https://www.chicagotribune.com/news/ct-xpm-1988-08-16-8801230297-story.html
「MOB GRAVE NOW LINKED TO PORN WAR」
https://www.chicagotribune.com/news/ct-xpm-1988-07-01-8801120087-story.html
 
・1980~90年代のシカゴ・マフィア
「The Chicago Outfit」
https://mafia.wikia.org/wiki/The_Chicago_Outfit
「Timeline of organized crime in Chicago」
https://en.wikipedia.org/wiki/Timeline_of_organized_crime_in_Chicago
「The Chicago Mob vs. Chicago Street Gangs」
https://themobmuseum.org/blog/the-chicago-mob-vs-chicago-street-gangs/
・シカゴ日系人社会
「Japanese in Chicago」
https://en.wikipedia.org/wiki/Japanese_in_Chicago