ストリートギャング・ベイエリア-1 サンフランシスコ
 
 
 
 
 
 
 
 
・概要
 ・歴史
・黒人
 ・概要
 ・ウエスタン・アディション地区
 ・ベイビュー・ハンターズポイント地区
 ・サンフランシスコ市南部
・ラテン系
 ・サレーニョス
 ・ノルテニョス
 ・南サンフランシスコ市
・中国人
 ・ギャング一覧
 ・堂戦争
 ・ABC対FOB
 ・華青の登場
 ・ジョー・フォンの反乱
 ・ジョー・ボーイズ
 ・ゴールデン・ドラゴンの虐殺
 ・華青の没落
 ・和合圖の侵略
 ・サンフランシスコ外
  ・LAの華青
  ・ストリートギャングとしての華青
・東南アジア人
・白人
 
 
 
 
 
 
 
 
・概要
 北カリフォルニア最大の都市であるサン・マテオ郡サンフランシスコ市は、2016年時点では87万人の人口を持ち、2010年時点でその人口構成は、白人41パーセント、アジア人33パーセント、ヒスパニック15パーセント、黒人6パーセントである。

 2006年時点ではストリートギャング41団体に1241から1660名のメンバーがいるが、標準的な規模は40名、多い組織でも150名に届かない程度であるという。
 一例として2004年には、ノルテニョスの有力組織ブライアント・ストリート・ロコスのメンバー数は50名程度であると対ギャング班の警視正が述べている。

 ギャングの巣となりがちなゲットーは、東中央部のミッション地区とその南のエクセルシオアー地区の他、さらに南に位置するハンターズポイント、サニーデール、レイクビューなどがあるが、近年ではジェントリフィケーションが貧困層の人口流出を招き、市外へと追いやられるものも多く出てきた。
 
 
・歴史
 1850年代にはカリフォルニア最初のストリートギャングであるオーストラリア脱獄囚からなるシドニー・ダックスが活動していたほか、19世紀後半には、中国系の秘密結社である堂(トン)も結成され始めている。
(堂についてはハーバート・アスバリーの「バーバリー・コースト」「ギャングス・オブ・サンフランシスコ」に詳しい)。

 その後20世紀前半にはマフィアが進出してきたが巨大勢力になることはなかった。

 1950年代にはグリーサー・ギャングなどの不良集団が活動し、O・J・シンプソンがつるんでいたペルシアン・ウォーリアーズなどもおそらくはこの系列と思われる。

 1970年代から中国人は華青によって暴力が過激化、ラテン系は南北プリズンギャングのストリートへの干渉が恒常化したが、一方黒人ではクリップス/ブラッズがSF進出に失敗し、2018年現在に至るまで微小な勢力しか持たない存在にとどまっている。
 かくしてサンフランシスコの黒人裏社会には小規模なモブが乱立し、カリフォルニア有数の大都市にもかかわらず、「クリップ・レス」と評されるような街となったのである。
 
 
 主なギャングとしては、参考までに、2010年の時点では以下の団体がデニス・ヘレッラ検事により悪名高いギャング指定(gang injunction)を受けている。
 この指定は対象者に特定のゾーン内でのギャングメンバーとの接触やギャングカラーの服の着用を禁じるなどの厳しいもので、人種差別的であるとして市民から抗議を受けている。

2006年:ベイビュー・ハンターズポイントのオークデール・モブ
2007年:ミッション地区のノルテニョス(連合扱いか?)、ウエスタン・アディション地区のチョッパー・シティ、エディ・ロック、ノック・アウト・パッシ
2010年:ダウン・ビロウ・ギャングスターズ、タワーサイド・ギャング
 
 
 こうしたギャングたちは自らのフッドの外に勢力を広げることはほとんどない。
 よって本文はラテン系については「サレーニョス対ノルテニョス」の範囲に収まっているものの、黒人については有象無象のモブについての記述が中心となった。また日本語でウェブ上に適当な記事が見当たらなかったために、中国系のストリートギャングである華青について多く書いた。
 
 
「概要」参考文献
ギャング撲滅のためにできる10のこと
http://sfpublicdefender.org/news/2008/03/what_san_francisco_can_do_about_gangs/
シドニー・ダックス
http://joecontent.net/the-sydney-ducks-californias-first-street-gang/
「OJの由来」
http://www.chattanoogan.com/2007/9/18/113539/Roy-Exum-How-O.J.-Got-His-Name.aspx
SF史上名高い10の犯罪
http://literarytrebuchet.blogspot.jp/2015/12/10-famous-crimes-of-san-francisco.html
ギャング指定
https://www.sfcityattorney.org/2010/09/30/civil-gang-injunction-granted-against-warring-criminal-street-gangs-in-visitacion-valley/
ギャング指定について
http://www.sfgate.com/news/article/S-F-gang-injunction-zone-controversial-3264233.php
人口構成
https://en.wikipedia.org/wiki/Demographics_of_San_Francisco
http://www.therealstreetz.com/2016/02/29/san-francisco-story/
サンフランシスコのストリートギャング一覧
http://www.streetgangs.com/cities/san-francisco
クリップ・レス
https://archives.sfweekly.com/sanfrancisco/crip-less-sfs-dislike-of-franchises-extends-to-street-gangs/Content?oid=2186501
ベイエリアにはクリップス/ブラッズはいないのか
https://thehoodup.com/board/viewtopic.php?t=94337
 
 
・用語説明
サレーニョス/ノルテニョス:カリフォルニア南部のラ・エメと北部のヌエストラ・ファミリアの二大ラテン系プリズンギャング間の対立に起因するギャング同盟である。カリフォルニア全体を見るとサレーニョスの方が強く、ベイエリアは北部だがサレーニョスの存在を許してしまっている。
クリップス/ブラッズ:LA発祥の黒人ギャング。カナダを含む北米中に支部があるのだが、カリフォルニアの大都市でありながら珍しいことに、サンフランシスコではほとんど勢力を持たないという。
 
 
 
 
 
・黒人
・概要
 黒人は市人口の6パーセントにもかかわらず、データベース「CalGang」によると2010年のSFのストリートギャング構成員の割合は、カリフォルニア全域の20パーセント以下をはるかに上回る高率の59パーセントであり、さらに2007~2009年には殺人被害者の約半分を占めていた。
 
 SFの黒人たちは、1980年代初頭からのクラック禍にもかかわらず、前述のようにクリップス/ブラッズの進出を拒み、過去にはダウンタウン・ボーイズなどの無数の小規模組織が活動していたと思われる。
 しかしそういったモブの街であるということは、「クリップスとブラッズは敵同士だ」といった明瞭かつ最低限の対立軸すらないということなので、相互関係がやや理解しづらくなっている。
 Peter Grabosky「Community Policing and Peacekeeping」138ページにSFギャング抗争の図解があり、以下の記述もそれに依拠したのだが、ギャングたちを強固に縛る何かがあるわけでもないので、一応の区分だと考えてほしい。
 
 
・ウエスタン・アディション地区
 地縁によって緩やかに結びつく下記の二つの連合体が対立している。

・アップタウン・クルー連合
 ・セントラル・ディヴィス・プレイヤズ
 ・ノック・アウト・パッシ(KOP)
 ・チョッパー・シティ
 ・デス・ヴァレー・パッシ
 ・ウエストサイド・ページ・ストリート
     対
・ダウンタウン・クルー連合
 ・エディ・ロック
 ・800・ブロック
 ・マック・ブロック
 
 
 
・セントラル・ディヴィス・プレイヤズ
 CDP、237、D・ブロックとも。
 1990年代中盤に台頭し、2000年代後半から2010年代前半にかけては、コンプトンのナッティ・ブロック・クリップスでピンプをやっていたカルヴィン・スニードなどを含む5名を殺害している。エディ・ロック、ノックアウト・パッシ、ページ・ストリート・モブと断続的に抗争しているが、下二つはおそらく同地区内の内紛だろう。

 2015年にはページ・ストリートがマック・ブロックの3名を含む4人を殺害している。
 
 
 
・ベイビュー・ハンターズポイント地区
 大まかに以下の構図で抗争が続いてきた。

・オークデール・モブ
・ウエスト・モブ
・サニーデール・ギャングスターズ
     対
・ビッグ・ブロック
・BNT(ブローク・ニガズ・シーヴィン)/カークウッド・モブ
 
  
 オークデール・モブは1990年代からOG・チープ・チャーリーをリーダーとして勢力を拡大し、ウエスト・モブと同盟。そのウエスト・モブは1999年から30名ほどのコアメンバーを持って同規模のビッグ・ブロックと争いだすこととなった。
 抗争は2000年にはラップでのもめ事によるヒップホップのパーティでの銃撃戦を経て白熱し、2004年までに13名~20名以上の死者を出している。
 この年にウエストモブのメンバーが警官を殺害したために、抗争は一応のおさまりを見せるが、しかし両者の対立はその後今日まで10年以上続き、2016年11月にはビッグ・ブロックがウエスト・モブ関係者を殺害、同年のクリスマスに報復されている。

 2015年にはオークデール・モブのメンバーとしてギャング指定を受けていたマリオ・ウッズが刺傷沙汰を起こしたのちに5人の警官に射殺されている。この事件は翌年に歌手のビヨンセがスーパーボウルのハーフタイムショウで抗議して有名となった。
 
 
「ベイビュー・ハンターズポイント地区」参考文献
ウエストモブの警官殺害の裁判記録
https://www.leagle.com/decision/incaco20110113008
警官殺害について。上とともに抗争の詳しい経緯が載っている
https://www.sfgate.com/news/article/FATAL-ENCOUNTER-Officer-Isaac-Espinoza-and-2716770.php
ラップが元で殺し合い
http://articles.latimes.com/2000/may/06/news/mn-27110
2000年の銃撃戦
https://www.sfgate.com/news/article/Gang-rap-feud-led-to-shootings-3065834.php
マリオ・ウッズ
http://www.sandiegouniontribune.com/g00/sdut-video-of-killing-by-san-francisco-police-sets-off-2015dec04-story.html?i10c.encReferrer=aHR0cHM6Ly93d3cuZ29vZ2xlLmNvLmpwLw%3D%3D&i10c.ua=1
http://www.ktvu.com/news/man-fatally-shot-by-sfpd-was-in-previous-gang-injunction
クリスマスの襲撃
http://www.sfexaminer.com/christmas-day-violence-across-sf-may-gang-related/
 
 
 
・サンフランシスコ市南部
 市南部のヴィジテーション・ヴァレー地区のサニーデール・プロジェクトでは西のダウン・ビロウ・ギャングスターズ、東のタワーサイド・ギャングが争いあっている。
 2009年にはダウン・ビロウのエミル・フォートが3件の殺人に関与したとして496か月の刑を宣告されているほか、2012年には今度はタワーサイド・ギャングが26歳のエドムンド・サンドヴァルを殺害し、新たなギャング抗争の勃発も危惧された。
 
 
「黒人」参考文献
「Community Policing and Peacekeeping」Peter Grabosky
138ページにギャング抗争図あり
「なぜ多くの黒人青少年がギャングに入っていると責められるのか」オークデール・モブについて
http://sfpublicdefender.org/news/2012/08/why-many-young-black-men-are-accused-of-being-in-gangs/
ウエストモブ
https://en.wikipedia.org/wiki/Westmob
カルヴィン・スニード殺害
http://www.laweekly.com/news/calvin-sneed-compton-pimp-murdered-by-parents-of-his-sex-slave-says-san-francisco-da-2394015
セントラル・ディヴィス・プレイヤズのサガ
http://hoodline.com/2015/01/the-central-divis-playas-face-federal-charges
CDP10名が摘発
https://www.justice.gov/usao-ndca/pr/members-western-addition-cdp-gang-charged-racketeering-conspiracy-murder-attempted
忘れられたネイバーフッド:ベイビュー-ハンターズ・ポイント
http://www.dailymail.co.uk/news/article-2625011/The-San-Franciso-Bayview-Hunters-Point.html
シリコンヴァレーとギャングが共存する街
https://www.vice.com/en_au/article/wd43w5/san-francisco-where-violent-street-gangs-and-silicon-valley-tech-bros-coexist-206
ギャング指定
http://sfcitizen.com/blog/2010/08/05/dennis-herrera-throws-down-visitacion-valley-gang-injunction-against-towerside-down-below/
サニーデール・プロジェクト
https://thehoodup.com/board/viewtopic.php?f=23&t=77192
エミル・フォート
https://archives.fbi.gov/archives/sanfrancisco/press-releases/2009/sf052109.htm
新たなギャング抗争
http://sfist.com/2012/08/01/new_gang_war_in_sf_two_more_men_sho.php
ハンターズポイント
https://www.vice.com/en_us/article/qbe3wv/hunters-point-is-san-franciscos-radioactive-basement
マック・ブロックの3名が殺害
http://abc7news.com/news/sfpd-fears-gang-retaliation-after-quadruple-homicide/472449/
上記事件で捜査に進展
http://hoodline.com/2015/01/cops-follow-rental-car-lead-in-quadruple-homicide-investigation
 
 
 
 
 
・ラテン系
 ストリートギャングの人数は時期や推測者によって異なり、1990年代を通して500名程度が安定して存在したと思われるが、1997年時点では市全体で600~750名が活動していたとも、1999年にはミッション地区のみで700~800名が活動していたとも言われている。

 ミッション地区ではプエルトリコ系のゴールデン・ディアブロズなどが活動し、1970年代中盤からはロウライダークラブなども盛んであったが、警察の取り締まりなどが原因で衰退していった。
 プリズンギャングの影響はこのころからあったものの、サレーニョスとノルテニョスの対立は1990年代初頭から目立ち始めたという。
 カリフォルニアでの両ギャング連合の縄張りは中部のベーカーズフィールドを境界線として南北に分かれているが、サクラメントからサンノゼの中間地帯ではサレーニョスの活動も多く見られ、これがラテン系の抗争の大半の原因である。

 しかしやはり、カリフォルニア北部に位置するベイエリアではサレーニョスは立場が弱く、あるNFメンバーによると、「家賃」を払ってミッション地区に住むラ・エメのメンバーもいたという。
 
 
 
・サレーニョス
 新来移民が多かったサレーニョスはミッション地区北部を縄張りとして、サー・トレセ、主にニカラグア人とサルバドル人からなるマラ・サルヴァトルーチャ/MS、1990年代前半に消滅したフォルサム・ストリート・パッシなどが連合してノルテニョスに立ち向かっていく。
 しかし彼らはその出自なども絡まって、何かと対立することも多かった。
 1996年にMSが他のサレーニョスの1人を殺害したことでこの亀裂は決定的となり、サレーニョス間では内戦が恒常的に戦われるようになる。
 
・MS・20th・ストリート
・11th・ストリート
・16th・ストリート
・19th・ストリート
 
 
 
・ノルテニョス
 一方スペイン語を話せないようなアメリカナイズされた者からなるノルテニョスは、ミッション地区南部に陣取り、12~17歳のためのサンフランシスコ・ミッション(SFM)、より年長者のためのロコス・ノースサイド(LNS)の他に、1980年代中盤に結成され22nd・アンド・ブライアントを縄張りとする武闘派組織ブライアント・ストリート・ロコス/22B・クルーなどが結びつき、ノルテニョス内でフロント・ストリート同盟を形成している。
 同じノルテニョス内でも、ショーティバックなどからなるバック・ストリート同盟と対立しているという。
 
・フロント・ストリート同盟
 ・SFM
 ・LNS
 ・22B/ブライアント・ストリート・ロコス
 
 
 北カリフォルニアを縄張りとして赤をシンボルカラーとするノルテニョスにとっては、サンフランシスコ・49ersの赤いアパレルはギャングの象徴であり、一方サレーニョスはLAドジャース、ダラス・カウボーイズなどの青いチームを好んでいる。
(そもそも「カラーバンギング」自体が、クリップス以前に獄中のLAチカーノが刑務所支給品のバンダナを受け取る際にドジャー・ブルーの青を選んだことから広まったものである)。

 1995年には対カウボーイズ戦の勝利を祝っていた49ersファンのナトマ・ストリート・ロコス(オレンジ・カウンティのナトマ・ボーイズとはおそらく別物)がサレーニョスに銃殺されている。
 
 
 また南北対立に関わらない18th・ストリート・ギャングなどの独立勢力もいる。黒をシンボルカラーとしているという。
 
 
「ラテン系」参考文献
ノルテニョス対サレーニョス
http://www.sfgate.com/news/article/Mission-gangs-turf-wet-with-blood-3130774.php
「イーストサイド・ストーリー」ミッション地区のギャング戦争
https://archives.sfweekly.com/sanfrancisco/east-side-story/Content?oid=2136228&showFullText=true
ミッション地区のギャング1964-1972
http://www.foundsf.org/index.php?title=Mission_District_Gangs_circa_1964-1972
ミッション地区の隠されたギャング史
http://www.foundsf.org/index.php?title=The_Mission%E2%80%99s_Hidden_Gang_History:_A_Quick_Snapshot
16th・ストリート・サレーニョスと19th・ストリート・サレーニョス
https://www.ice.gov/news/releases/14-bay-area-surenos-street-gang-members-indicted-racketeering-and-murder
ブライアント・ストリート・ロコス
http://www.refworld.org/docid/42df61bb2f.html
ナトマ・ストリートが殺害される
http://www.sfgate.com/news/article/Gangs-Tied-to-Slaying-After-49ers-Victory-3047819.php
1997年時点のラテン系ギャング
https://www.sfgate.com/news/article/PAGE-ONE-Gangs-Alarm-the-Mission-Police-and-2845060.php
K. Mullen「Dangerous Strangers: Minority Newcomers and Criminal Violence in the Urban West」125ページに1990年代のギャング数の推定あり

 
・南サンフランシスコ市
 北カリフォルニアの諸都市と同じくノルテニョス優勢の南サンフランシスコ市では、2008年で6万3千人の人口のうち120名のノルテニョスが存在しており、サイプレス・パーク・ロコス(CPL)から1990年代に分派した500・ブロックや、1980年代から存在するC・ストリート・ギャングが活動している。

 両者は2000年代中盤から同盟関係を強固にして、ウエストボロー・パーク・サレーニョスやサン・マテオ郡南部のサン・ブルーノ市のロミタス・パーク・ロコス、そして特に同じノルテニョスのサイプレス・パーク・ロコスと激しく争っていた。
 一方サレーニョスは40名ほどであったという。
 
 
 500・ブロック/C・ストリート連合は2010年12月には抗争でCPL3名を銃殺し、その後に誤認で14歳の少年も殺害している。
 警察はこの惨事を受けて500・ブロックとC・ストリート・ギャングに大規模な手入れを行い、19名を逮捕して壊滅的打撃を与えたがギャング一掃には至らず、依然として3つのノルテニョス・ギャングが残ったという。
 
 この事件で2013年に500・ブロックのジョセフ・オーティスは、3件の殺人に8件の殺人未遂などで、終身刑5つに60年の刑期を宣告されている。
 C・ストリート創設者の一人を父に持つオーティスは、その父だけではなく母・兄・伯母もギャングと深いかかわりを持つ犯罪者一家に生まれ、2001年に11歳で500・ブロックに入り、やがてはリトル・ヴィシャスと呼ばれるようにまでなったという。
 2015年には共に襲撃に参加したヴィクター・フローレスも同じく終身刑を受けている。
 
 
「南サンフランシスコ市」参考文献
ノルテニョス120名にサレーニョス40名
https://archives.sfexaminer.com/sanfrancisco/south-city-police-target-gang-activity-on-the-home-front/Content?oid=2147148
500・ブロック/C・ストリート・ギャングの抗争で3人が犠牲に
https://patch.com/california/southsanfrancisco/shooting-victims-were-gang-members-police-chief-says
抗争中の誤認で無関係の少年が殺害
http://www.sfgate.com/crime/article/Barely-a-teen-boy-s-killing-shakes-South-City-2328988.php
1年がかりの捜査で19名が逮捕
http://abc7news.com/archive/8649480/
オーティスに終身刑
https://www.justice.gov/usao-ndca/pr/violent-norte-o-street-gang-member-sentenced-five-life-terms-plus-sixty-years-federal
フローレスに終身刑
https://sfbay.ca/2015/05/02/man-gets-life-in-ssf-triple-gang-murder/
19名の名前と2012年時点で宣告される可能性のある刑
https://www.ice.gov/news/releases/19-indicted-racketeering-case-targeting-south-san-francisco-street-gang
「殺された3人はCPLだった」
http://abc7.com/archive/8646494/
捜査に通話記録が使われたことについて。殺された3人はサレーニョスだったとあるが間違いだろう
http://www.sfweekly.com/news/the-wireless-law-enforcements-secret-partnership-with-phone-companies-makes-everything-transparent-except-the-law/
 
 
 
 
 
 
・中国人
・ギャング一覧
 
・堂
合勝堂(ホップ・シン・トン)
萃勝堂(スーイ・シン・トン)
協勝堂(ヒップ・シン・トン)

・ストリートギャング
「ヨウ・イー」(?)
忠精義(Chung Ching Yee/チャン・チン・イー、ジョー・ボーイズとも)
華青(Wah Ching/ワ・チン)
ジャクソン・ストリート・ボーイズ

・三合会
和合圖(Wo Hop To/ウォ・ホップ・ト、和合桃とも)
 
 
・華青幹部
SF
・スタンリー・ウォン   (1960年代後半。引退後華青は下記3人の派閥に分裂)

・アントン・ウォン    (1973年ジョー・フォンの15歳の弟に殺害)
・ロックマン・トム    (?~1970年代前半。萃勝堂に協力)
・ジョー・フォン     (1969もしくは1971~1970年代後半。忠精義設立)

・マイケル・ルイ     (1973~1970年代後半)
・ヴィンセント・ジュー  (1970年代後半~1984。香港へ逃亡)
・ダニー・ウォン     (1984~1991。和合圖に殺害。以後SFの華青は消滅か)
 
 
LA
・トニー・ヤング     (1973~1993(?)。2017年強盗に殺害)
 ・ポール・リュー    (ポール・サイド設立)
 ・モーガン・コー    (レッド・ドア設立) 
 ・ワイ・イン・チュー  (ソニー・サイド設立) 
 
 
 
 
 
・堂戦争
 中国人のアメリカへの移民は19世紀後半に始まり、1890年のSFには市人口の9パーセントを占める2万1千人が居住していた。主として肉体労働に従事していた彼らは、しかしながらイタリア人やアイルランド人などとの人種差別的な暴力沙汰に巻き込まれることが多く、一種の自衛組織と互助組織を兼ねた存在としての親睦団体「堂(トン)」を結成していく。
 こうして現れてきた合勝堂(Hop Sing Tong/ホップ・シン・トン)や協勝堂(ヒップ・シン・トン)は互いにいがみ合い、特に1880年から1913年の間には堂戦争と呼ばれる激しい抗争が起こったが、1906年のサンフランシスコ地震や警察の取り締まりなどをきっかけに沈静化していった。
 
 
・ABC対FOB
 堂戦争終結後堂は長らく息をひそめ、少数のメンバーで賭博、売春、そしてアヘンに関わっていた。

 やがて時がたち、1960年代中盤のチャイナタウンには、移民規制の緩和によって大量の移民がやってきた。
 しかし新世界アメリカに希望を持ってやってきた移民たち「FOB(フレッシュ・オフ・ザ・ボート)」に、サンフランシスコは十分な職業をあてがうことができず、彼らの多くが貧困に苦しむこととなった。さらに移住者の数はチャイナタウンの収容能力を超えていたために、彼らは他の地域にも移り住んだのだが、そこでイタリア人などと衝突したために、その子弟たちも疎外感を深めていった。

 加えて中国人社会内部でも、堂を構成するABC(アメリカン・ボーン・チャイニーズ)とFOBとの対立が起きていた。
 何世代にもわたってアメリカ化されたABCの少年たちは、すでに1950年代後半からバグズやレイダースなどのストリートギャングを結成しており、英語も満足にしゃべれないようなFOBの少年たちに対して地元の利を生かして一度は優勢に立ったものの、やがて故地でギャングに入っていた彼らに押し返されていく。
 三合会が強大な力を持つような土地である香港から来たFOBは、ギャングとしてより強靭な存在だったのである。
 
 この不良としてのしぶとさが、当時合法的結社を装おうとしていた堂の目を引き、多くのFOBギャングが堂の兵隊として働くようになっていく。
 堂は伝統的に賭場の警備やもめ事の処理に当たっては「ハチェットメン」と呼ばれる殺し屋を使ってきたが、新興ギャングに対抗するためには、むしろ彼らの一部を取り込んだ方が得策だと判断したのである。
 
 こうして堂の下に合勝仔/ホップ・シン・ボーイズ、萃勝仔/スーイ・シン・ボーイズなど数々の青年組織あるいは派閥が形成されていった。
 
 
 
・華青の登場
 しかしすべてのギャングがそうやすやすと堂の配下に組み入れられてしまったわけではなかった。
 不良少年たちには旧世代の堂に対して反抗的なものも多く、その中でもサンフランシスコのみならず西海岸最大の中国系ストリートギャングである華青は、FOBによって1964年に結成された。
  
 初期の華青が純粋なギャングだったかどうかについては、異説もある。
 1960年代後半のアメリカでは、政治参加の機運は中国系アメリカ人の間でも高まっていた。
 そのなかで大学生を中心に、新参移民の子弟をも巻き込み、おそらくは1964年に結成された青年政治団体「ヨウ・イー」は、しかし数年で金策に行き詰まり、商店恐喝などの犯罪に手を染めていくようになり、それが華青へとつながったというものである。
 これはカルヴィン・トイ氏が1992年のJustice Quarterly誌9号で書いているのだが、しかし他にこの話を支持するものが見つからないので、実際にどういった事情だったかは判断しづらい。
  
 いずれにせよ当時のリーダーだったスタンリー・ウォンは、「シックス・カンパニー」と呼ばれる長老たちに脅されて引退を余儀なくされている。
 これによって態度を強硬化させた華青または「ヨウ・イー」は、100名を超す戦力を持って堂と戦うと、萃勝堂とその下部ギャングを抗争で打ち破ってオークランドへと追いやり、その後賭博場の警備などのために若い兵隊を求めていた合勝堂の傘下へと入ることを決める。
 
 
・ジョー・フォンの反乱
 しかしこれを了承しがたいものもいた。
 その1人ジョー・フォンは1971年に華青を離れるが、その後友人3名を華青もしくは合勝仔/ホップ・シン・ボーイズに処刑されると、翌年に合勝堂に対抗するため自らの組織「忠精義」を結成し、組織はジョー・ボーイズとして知られるようになる。

 一方合勝堂の下についた者たちは、アントン・ウォンらをリーダーとして、自分たちを華青と名乗るようになっていく。「華青」を名乗り始めた時期がいつかはともかく、その名前は70年代の抗争を通じて浸透していったと思われる。

 このあたり、おそらくは華青の中でも合勝堂への忠誠心の強い者は合勝仔となったが、華青自体はあくまでも独立組織であり続け、

「合勝堂(一次団体)-華青(二次団体)」

 といった関係になったのではないかと考えられる。
 
 

・ジョー・ボーイズ
 こうして結成されたジョー・ボーイズは、わずか10~20代の青少年の集まりにすぎなかったが、最盛期には150~175名の戦力を持つまでに膨らんだ。
 ジョー・フォン自身は1973年にわずか19歳で殺人によって終身刑を宣告されているが、ストリートに残ったジョー・ボーイズは当時SFとLAで300人ほどいたという華青のほか萃勝仔/スーイ・シン・ボーイズ、ジョン・ルイ・ボーイズとも戦い、1972年から1978年の一連の抗争では双方合わせて26人~50人ほどの人数が殺害されたという。

 対する合勝堂は自らの青年部隊である合勝仔/ホップ・シン・ボーイズのほか、華青とも手を組み、この過激な愚連隊を迎え撃っていった。
  
 
・ゴールデン・ドラゴンの虐殺
 ジョー・ボーイズは、チャイナタウンに確固たる財政的基盤を得られぬままに孤軍奮戦した。
 しかしその命運は1977年に行った「ゴールデン・ドラゴンの虐殺」によって暗転する。
 この年の7月に違法花火の利権をめぐっての対立からジョー・ボーイズの一人が華青に殺害されており、その報復として9月に実行されたこの襲撃では、合勝堂のボスが経営するゴールデン・ドラゴン・レストラン(金龍大酒家)をたまり場としていた華青を殺害することで、合勝堂と華青に同時にダメージを与えるはずだった。
 
 しかし参加した3人の殺し屋は重火器で武装して用意万端のはずが、結果として市民5人の殺害の他に11人の負傷者を出して、一人の敵ギャングも傷つけることができないという大失態であった。しかも実はそのころ華青はヴィンセント・ジューの指揮下で、より富裕な協勝堂に乗り換えていたという。
 
 
 事件はサンフランシスコ史上最大級の虐殺として市民に衝撃を与え、さらに犠牲者のうち2人が旅行客であったために、チャイナタウンは一時は旅行客も寄り付かないゴーストタウンの様相を呈した。
 この虐殺はそれまでギャング抗争に手をこまねくばかりだったモスコーネ市長の重い腰をあげさせ、20世紀前半に活動した「チャイナタウン・スクワッド」以来の中国人ギャング専従捜査班が結成されると、その強硬な取り締まりを受けてジョー・ボーイズは消滅することとなる。この巻き添えを食らって合勝仔/ホップ・シン・ボーイズも消滅させられている。

 またどういう事情かは分からないが、ジョー・フォンは1979年に釈放されており、UCLAに通った後1990年代初頭にはカレッジでアジアン・スタディーズの教授に収まっていたという。サン・マテオ・カレッジの同名人物がそうではないかと思われるが、詳しいところはわからない。
 
 
・華青の没落
 こうしてライバルの自滅により華青は1980年代初頭にはSFの黒社会を制圧した。
 しかし多くの支部を抱えて巨大化したにもかかわらず、その内情は明るいものではなかった。
 1970年代後半からは20代後半に差し掛かったメンバーの引退が相次ぎ、その穴を埋めるかのようにベトナム系中国人の流入が始まると、同時に多くの内輪もめが起こってきた。商売のはずの麻薬についても、捌くだけではなしに自ら中毒になるようなものも多く出てきた。
 こうして華青は堂から徐々に見限られていき、内輪もめの絶えない烏合の衆へと徐々に溶解していった。

 1980年代前半にはまた、一時はオークランドへと追放されていた萃勝仔/スーイ・シン・ボーイズがサンフランシスコへと戻ってきている。
 
 
 
・和合圖の侵略
 1982年には新義安、14K、和勝和と並んで香港三合会四大黒幇の一つである和合圖の重鎮である莊炳強(ピーター・チョン)がサンフランシスコにやってきている。
 莊炳強はその資金力でもって元合勝仔/ホップ・シン・ボーイズの周國祥(レイモンド・「シュリンプ・ボーイ」・チョウ)などを抱き込み勢力を拡大した。

 莊炳強はベトナムの出身であり、その野望は北米すべての中国系犯罪組織を手中に収めることであったという。

 和合圖は1990年に華青との小競り合いを起こし、一度は休戦に達したものの翌年には華青のリーダーダニー・ウォンを殺害し、華青を完全に配下に収めることに成功している。
 サンフランシスコで生まれた華青にとっては「本家筋」はこれを持って消滅し、その後は各地のフランチャイズ組織がたいした団結力もなしに活動するのみとなった。
 
 莊炳強はボストンにまで手を伸ばすも、その後1992年にあえなく逮捕されそうになり香港に逃亡。周國祥は証人転向を打診されたものの、それを拒否し重火器密輸で23年の刑を受けている。17名の幹部たちも一網打尽にされたために、SFの和合圖は崩壊した。

 周國祥は司法取引によって2003年に出所したが、2006年の実業家アレン・ルン殺害の罪によって2016年に終身刑を宣告されている。TV番組ギャングランドの「Deadly Triangle」では、ルン殺害について周國祥がしらばっくれている姿を見ることができる。
 
 1990年代前半には、旧華青残党のツァン3兄弟がジャクソン・ストリート・ボーイズ/積臣街小子を結成している。コカインを主なしのぎとして南はLAから、北は国境を越えてブリティッシュ・コロンビアにまで勢力を広げた。
 
 
「中国人」参考文献
以下の3つを主に参考とした
「サンフランシスコの中国人ギャングの略史」1992年カルヴィン・トイ氏の文章
http://citeseerx.ist.psu.edu/viewdoc/download?doi=10.1.1.492.9874&rep=rep1&type=pdf
「バンブー・タイガース」元警官ブロック・モリス氏の著書。全文が公開されている
http://brockmorris.com/btigers/index.html
streetgangs.comより「Sides Of Wah Ching…」。Lepke氏の書き込みが大変参考になる
http://www.streetgangs.com/billboard/viewtopic.php?f=142&t=2585&sid=29ac0abe130ac7e695923e0c27851e8d
・wiki一覧
堂戦争
https://en.wikipedia.org/wiki/Tong_Wars
華青
https://en.wikipedia.org/wiki/Wah_Ching
https://en.wikipedia.org/wiki/Tong_(organization)
合勝堂
https://en.wikipedia.org/wiki/Hop_Sing_Tong
忠精義
https://en.wikipedia.org/wiki/Chung_Ching_Yee
和合圖
https://en.wikipedia.org/wiki/Wo_Hop_To
莊炳強
https://en.wikipedia.org/wiki/Peter_Chong_(criminal)
周國祥
https://en.wikipedia.org/wiki/Raymond_%22Shrimp_Boy%22_Chow
ジャクソン・ストリート・ボーイズ
https://en.wikipedia.org/wiki/Jackson_Street_Boys
告白本「Chinese Playground」を著した元ジョー・ボーイズのビル・リーへのインタビュー
http://www.foundsf.org/index.php?title=The_Tongs_of_Chinatown
チャイナタウン・ギャング・ウォー
https://www.fairobserver.com/region/north_america/chinatown-gang-war-99631/
ゴールデン・ドラゴンの虐殺
https://en.wikipedia.org/wiki/Golden_Dragon_massacre
http://www.sfchronicle.com/crime/article/Chinatown-gang-feud-ignited-one-of-SF-s-worst-8348992.php
忠精義
https://unitedgangs.com/chung-ching-yee/
周國祥の逮捕
http://www.latimes.com/local/lanow/la-me-ln-shrimp-boy-sentenced-20160804-snap-story.html
チャイナタウンの戦争
http://www.sfweekly.com/news/yesterdays-crimes-news/yesterdays-crimes-the-war-for-chinatown/
虐殺から40年
http://www.sfchronicle.com/news/article/SF-s-Golden-Dragon-massacre-40-years-later-12166088.php
虐殺主犯の一人が仮釈放
http://www.sfchronicle.com/news/article/Freed-killer-in-Golden-Dragon-massacre-It-will-12166091.php
ジョー・フォンのその後についての記事
Joe Fong: From gang leader to grad school
真偽不明ながらコメント欄でジョー・フォンのその後についての情報あり
https://www.yelp.com/topic/san-francisco-3-arrested-in-extortion-plot-against-richmond-restaurant
The Youth Gang Problem: A Community Approach
By Irving A. Spergel
Longtime Californ’: A Documentary Study of an American Chinatown
By Victor Nee, Brett De Bary
 
 
 
・LAの華青
 後にLA華青のボスとなるジョー・ホー・「トニー」・ヤングは、1969年16歳の時に両親とともにアメリカへとやってきたが、アメリカ社会に馴染めずに非行を繰り返し、1974年にはサン・ラファエル市で香港映画の撮影スタッフを強盗したとも疑われていた。
 
 1976年9月SFでの華青対ジョー・ボーイズの抗争において4名のジョー・ボーイズに殺されかけるが、一命をとりとめ、この後華青のLA支部長に昇格している。LA華青自体はデヴィッド・クオンなどをボスとして存在していたようである。
 
 この時期の「トニー」・ヤングについては、山平重樹著「獅子の双貌―ロスの昼と夜を制覇した日本人リオ・オリイ」でも触れられている。
 地元の顔役「Tブラザーズ」を追い払った彼は、ナイトクラブを経営していたリオ・オリイのもとへ部下のジョージ・ウォルター・チェンを伴ってみかじめ料を取り立てに来たが、逆にオリイと意気投合し、後に日本にも訪れた際には住吉連合小林会の歓待を受けたという。
 
 
 ヤングは1976年の銃撃を機に華青からは引退したと語っていたが、実際には華青の大老(ゴッドファーザー)として君臨し、カジノディーラーへの暴行、コンサートのスポンサー料と称する恐喝などを行い、なんと台湾総統李登輝の暗殺計画にまで絡んでいたという話まである。

 こうしてアジア人ギャングの最盛期であった1980年代後半~1990年代前半において最大の大物の一人であったヤングだったが、次第に当局の締め付けによって没落していき、1995年には破産詐欺で13か月の刑を受けている。
 
 
 短期刑で出所したヤングではあったが、往時の影響力は失い始めていた。
 2001年に華青の新興指導部はサン・ガブリエル・ヴァレーの利権をめぐって華青分派のレッド・ドア(赤門?)や四海と抗争状態にあったために、抗争を止めようと尽力する。
 しかしもはや影響力を失っていた彼の仲介は無視されてしまい、抗争の結果として13名の幹部が収監されると、華青は2000年代後半から慢性的な指導者不足の状態に陥った。
 
 
 その後ヤングはしばしの上海暮らしを経て、2008年からはすっかり穏健な組織となっていた合勝堂のメンバーとなり、訪米した馬英九とも親交を深めている。

 ヤングは2017年9月に強盗によって刺殺されている。単なる金銭目当てで、彼の過去との関係はないとのことである。一方迷走を続けた華青は、ついには2016年にLAPDから「壊滅した」とみなされている。

ヤング殺害後の記事
http://www.latimes.com/local/california/la-me-chinatown-godfather-killing-20170903-htmlstory.html
 
 
 
・ストリートギャングとしての華青
 上記のようにSFでは壊滅状態にある華青ではあるが、しかし北米全体では20のサイド(セット)があり、3000人のメンバーと1000人の準メンバーを持つと言われている。

 南カリフォルニアではカンボジア系中心のアジアン・ボーイズやベトナミーズ・ボーイズと抗争し、特に1993年にエル・モンテのプール・ホールでアジアン・ボーイズ相手に行った銃撃戦は今でも語り草になっている。この事件によって華青はアジアン・ボーイズの幹部メルカド兄弟の派閥との抗争に突入したという。

 他にはLA直系のポール・サイドやモントレー・サイド、2001年にサン・ガブリエル・キラズのメンバーを殺害しているサン・ガブリエル・ヴァレー・サイドなどが存在する。
 
 
華青
https://www.urbandictionary.com/define.php?term=Wah%20Ching
サン・ガブリエル・ヴァレーの華青がエクスタシー8000錠所持で逮捕
http://www.laweekly.com/news/jimmy-chau-san-gabriel-wah-ching-gang-member-allegedly-had-2-000-ecstasy-pills-on-him-during-traffic-stop-2388446
メルカド兄弟
http://www.lapdonline.org/july_2008/news_view/38698
 
 

・東南アジア人
 1990年代前半の時点では、フィリピン系のフリスコ・ボーイズがバタン・13とバタン・フリスコの2つの支部と50人のメンバーを持っていた。フィリピン本国に由来するバハラ・ナ、シグ・シグ・スプートニクスのほかに、ウガット・バナル、シンタ・セブン、LVMなども活動していたようである。

 2000年ごろにはベトナム系の組織がオレゴンからコカイン、ヴァンクーヴァーからマリファナを仕入れて売りさばいていたという。
 
グレンデール市のギャング報告書
https://www.ncjrs.gov/pdffiles1/Digitization/148396NCJRS.pdf
北カリフォルニアのコカイン事情
https://www.justice.gov/archive/ndic/pubs/653/cocaine.htm
 
 
 
・白人
 サンフランシスコのマフィアは、1932年にフランク・ランザが創始し、アンソニー・リマ、マイケル・アバティ、ジェームス・ランザと受け継がれて半世紀以上続いたが、警察の取り締まりが厳しいために20人程度の小勢力にとどまっていたという。
 目立った事件としては、主に20世紀前半に戦われたギャング抗争のほかに、1947年のシカゴのフランク・ニッティの部下ニック・デジョン殺害や、ニューイングランドのパトリアルカ一家のボスレイモンド・パトリアルカを裏切った殺し屋「アニマル」ジョー・バルボーザの1976年の処刑などがある。

 ストリートギャングでは、サンセット・ディストリクト・インク(SDI)が1970~80年代にかけて活動していたという話がある。
 伝説によると彼らは、第二次大戦後にカトリック系アイルランド人少年の自衛のために結成されたというが、成長すると警察に職を得るものも多かった。重犯罪には手を染めず、主にマイノリティへの嫌がらせなどをやっていたようである。

「白人」参考文献
http://mafia.wikia.com/wiki/San_Francisco_crime_family
How ‘Animal’ Hitman Met His Death In SF’s Sunset District
http://mafia.wikia.com/wiki/Nick_DeJohn
SDI
http://blog.sfgate.com/kalw/2011/01/20/are-san-franciscos-gang-injunctions-working/
https://www.sfgate.com/news/article/Cops-tie-Sunset-gang-to-hate-crime-3096967.php
https://www.yelp.com/topic/san-francisco-looks-like-s-d-i-aka-the-bros-strike-again
https://archives.sfweekly.com/sanfrancisco/sunset-on-a-murder/Content?oid=2152600

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