ストリートギャング/コリアン&ジャパニーズ
 
 
 
 
 
 
 
 
・目次
 ・概要
 ・コリアン/韓国人
  ・LA
  ・コリアン・キラーズ
  ・2010年代の現状
  ・LA外
 ・ジャパニーズ/日本人
  ・戦後のLA
   ・JA、別名「ブッダ・ヘッズ」
   ・「バリオ」の日系人
   ・イーストサイドLAのトライアングル・ボーイズ 
   ・「イーストサイド」対ミニスターズ
   ・その後のギャングたち
   ・1970~80年代
  ・ベイエリア
  ・日系アメリカ人ギャング列伝
 ・参考文献
 
 
 
  
・概要
 北米のアジア人犯罪組織には様々なものがあるが、第二次大戦後のストリートギャングというくくりでは、1970年代からの暴力過激化の波に乗ったカンボジア人、長い伝統を持つフィリピン人などが目立った存在である。
 その一方日韓のストリートギャングは中国人の陰に隠れがちで、まともに情報がないのでこの項ではひとくくりにした。

 ちなみに東アジア人が強い例外的な土地としては、ハワイとサンフランシスコとカナダのヴァンクーヴァーがあるが、ハワイはそもそも日系人が多い土地であり、SFとヴァンクーヴァーも環太平洋圏の中国人麻薬流通網の飛び地的な性格が強いので、この2つの土地について「中韓の犯罪組織が暗躍」というようなうわさを聞いた時にはその特殊性を考慮するべきだろう。
 
 
 
 
・コリアン/韓国人
・LA
 2010年代現在最も韓国系アメリカ人が居住するのは大LA圏の30万人であり、次いでNY圏の20万人、ワシントン-ボルチモア圏の9万人などに固まっている。
 しかしLAのコリアタウンではリトル・トーキョーやチャイナタウンと同じく有名無実化が進んでおり、住民の半数以上はヒスパニックである。
 
 
 LAで最初に結成されたコリアンギャングは、そのたまり場にした場所から名前を取ったアメリカン・バーガー(AB)であり、その後バーガー・キング(BK)やコリアン・キラーズ(KK、創設年から取ってK75Kとも)が続き、女子部のIBKやKGKなども登場した。
 こうしたコリアン・ギャングは「摩天楼のように高いスポイラーとオーバーサイズのマフラーをつけた、車体を低くしたホンダ車」を乗り回すことで知られていたという。
 
 
・コリアン・キラーズ
 その中でも最大勢力はコリアン・キラーズであり、最盛期には60名以上の戦力を持って同胞が経営する商店への脅迫を行い、3万ドルから5万ドルもの金銭を要求していた。

 彼らはまた自民族の女性を誘拐しての国際的な売春網運営や覚醒剤密造も行い、1988年にはハワイのフィリピン人麻薬密売業者パシアーノ・ゲレロが、ポートランドのコリア系ラボで密造された覚醒剤をシアトル経由でハワイに持ち込んでいたことが報道されている。
 
 
 第一世代のコリアン・キラーズは1990年代前半には次第に鳴りを潜めていくが、彼らにあこがれるより年少の者たちによってラスト・ジェネレーション・コリアン・キラーズ(LGKK)が、KKの悪名を引き継ぐ形で結成された。

 LGKKは様々なギャングと抗争し、1997年にはコリアン・プライドのメンバーを殺害している。
 同年には連続強盗及び強姦で7名が逮捕されたが、リーダーのユン・グ・「エディー」・カンは250万ドルの保釈金を払っての保釈中に、裕福なビジネスマンであったという父親がいる韓国へと逃亡している。
 カンはその後2001年韓国とアメリカの間で結ばれた犯罪者引き渡し協定によって、韓国からアメリカへと引き渡された最初の犯罪者となり、不在のうちに言い渡された271年の刑に服している。

 2011年には元メンバーとされる「ムン」がメキシコから韓国へと覚醒剤を密輸しようとした容疑で逮捕されている。
 
 1997年には彼らをモデルにしたと思われる韓国映画KK FAMILY LISTが公開されている。
 
 
・2010年代の現状
 30万の人口の割にはストリートギャングの活動は低調であり、そのほかに暗黒街での大きな動きも報道されていない。

 2014年時点のコリアンタウンではアジアン・クリミナルズ(ACS)、メンタル・ボーイズ(MBZ)、コリアタウン・ギャングスターズ(KTG)、ラッパーのSeoulessがメンバーかアソシエイトである新興勢力トレイ・デュースなどが活動しているという噂である。
 
 
 コリア系はまたフリップタウン・モブやジェフロックスなどのフィリピン系ギャングに加わる傾向があるという。
 フリップタウン・モブの「キム」は、1997年に17歳でメキシコ人ギャングを銃撃してからは韓国へ逃亡してガンナムで英語教師をやっており、自分の塾まで持っていたという。2011年に逮捕されている。
 
 その他には三合会の下部組織的な愚連隊華青(Wah Ching)のメンバーを殺害したとうわさされるコリアン・プレイボーイズ、2011年に中国人男性へのヘイトクライムで4人が逮捕されたアジアン・マフィア・アサシンズなどが活動してきたという。
 
   
・LA外
 オレンジカウンティ北部ガーデン・グローブで50名ほどの戦力を持っていたガーデン・グローブ・ボーイズ、コリアン・タウン・モブ、アジアン・タウン・コリアンズなども活動していた。
 
 詳細は不明ながら1990年代には、オレンジ・カウンティ北部のフラートン地区では、フィリピン系のLVM(ルソン・ヴィサヤ・モブスターズ、もしくはミンダナオ)・ギャング、サルザナ・ギャング、そして中国系の華青の韓国人メンバーが、それぞれのギャングの非韓国系メンバーが逮捕された後に、一種の連合体としてフラートン・ボーイズを結成している。
 コリアタウン・モブスターズ、クレイジーズ、ガーデン・グローブ・ボーイズ、コリアン・トラブル・メーカーズ、ハンクック・ボーイズなどと抗争していた。
 
 そのほかに、ギャングスタ・ラップの発展に寄与した人物として、1980年代からコンプトン・ファッション・センターの中に店を構えていたレコード店サイカデリック・ミュージック・コーナーの店主、故ワン・ジューン・キムも韓国系の人物である。
 1982年から商売を始めたキムは多くのラッパーに慕われた人物であり、現在はその息子カークがサイカデリック・レコーズを経営している。
 
 
 一方NYではコリアン・パワーが活動し、1993年に5名が逮捕された時点で最低でも100以上の商店を恐喝していたという。
 
 
 
・「コリアン・ギャング」参考文献
コリアン・プライド:ギャングとコリアン・コミュニティー
https://web.stanford.edu/group/reflections/Winter1998/Nonfiction/KoreanPride.html
韓国系アメリカ人の居住する大都市
https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_U.S._cities_with_significant_Korean-American_populations
まともな情報はないがstreetgangs.comより
http://www.streetgangs.com/asian/southlosangeles/lgkk
コリアン・キラーズ
http://www.streetgangs.com/billboard/viewtopic.php?t=45951
コリアン・ギャングの歴史
http://www.streetgangs.com/billboard/viewtopic.php?t=46064
コリアン・プレイボーイズ
http://www.streetgangs.com/billboard/viewtopic.php?t=43755
トレイ・デュース
http://www.streetgangs.com/billboard/viewtopic.php?t=45120
ちなみにWah Chingは日本人ラッパーのJaguar Ay氏がメンバーだったことがあるという
https://ameblo.jp/jaguaray/
LA郡のギャング・マニュアル。情報はやはり少ない
http://www2.bakersfieldcollege.edu/cfeer/Organized%20Crime/Gangs/LASD%20Gang%20Manual.pdf
現在ではウィキから削除されているLGKKのページ
http://www.thefullwiki.org/Last_Generation_Korean_Killers
ロシアについての掲示板だがコリアンギャングの情報あり。ここのギャング一覧が一番詳しい
https://www.coachella.com/forum/archive/index.php/t-3404.html
カンに271年
https://www.upi.com/Extradited-Korean-faces-271-years-in-US/61291004559629/
フリップタウン・モブの「キム」。韓国に逃亡して英語教師をやっていたものの逮捕はこれが4人目だという
http://populargusts.blogspot.jp/2011/08/wanted-korean-american-gangster-ran.html
ハンティントン・ビーチの警察の定期報告。4年捜査したのちに1997年の殺人犯ピーター・パークを逮捕している
http://articles.hbindependent.com/2001-04-12/news/export9758_1_police-briefs-block-of-lynn-street-yujung-yang-kong
パシアーノ・ゲレロ
https://www.csmonitor.com/1989/1208/aice.html
Carl Schoner著「Suburban Samurai -The Asian Invasion of the San Gabriel Valley」
James Ruiz, Don Hummer著「Handbook of Police Administration」
フラートン・ボーイズ
https://en.wikipedia.org/wiki/Fullerton_Boys
ワン・ジューン・キム
https://www.npr.org/sections/therecord/2013/03/14/174334510/gangsta-rap-swap-meet-proprieter-wan-joon-kim-has-died
http://www.cycadelicrecords.us/
 
 
 
 
 
 
 
・ジャパニーズ/日本人
 世界的に有名な犯罪結社「ヤクザ」の基幹民族として、実態はともかく悪名高い日本人ではあるが、アメリカではその悪評に見合うほどの活躍はしていない。
 日系人が多いハワイでも移民にやくざ者はいただろうが、「やくざ組織」は結成していない(確信はないが、少なくとも大組織はない)。
 その理由については、まず移民したのは戦前にはやくざ文化がなかった沖縄の人間が多かったということ、第二次大戦中の強制収容によって組織犯罪志向のある人間が迫害を招くと白眼視されるようになったこと、そもそも中国人と違って背骨となるべきアヘンのルートを持っていない(もっとも旧日本軍は持っていたようだが、もちろんそのルートが使われたという話はない)ことなどが推測される。
 
 
・戦後のLA
 戦前の日系不良少年はチカーノ文化に影響されるものが多く、LA、SF、ストックトンのバーや街角でズート・スーツを着てよくつるんでいた。
 その後第二次大戦がはじまり日系人の強制収容が始めると、屈辱的な収容所生活を送る中で年長者の権威は失墜、戦争が終わった後には青少年の非行が問題視されるようになっていった。

 1950年代から60年代初頭にかけての大LA圏では、アルゴンクインズ、ブラック・フアンズ、そして女性ギャングのイチバンズが三大ギャングであった。そのほかドミネーターズ、コーシャクズ、リトル・ジェンツ、ブッダ・バンディッツ(異説あり)などが活動していたという。
 
 
・JA、別名「ブッダ・ヘッズ」
 この時期にはLAギャングの暴力も過激なものではなく、その後多くのネイバーフッドを民族別ギャングに分断することになる負のナショナリズムも育っていなかった。
 
 日系人の不良少年はヒスパニック、黒人、他のアジア系民族のギャングに交じって活動することが多く、中でもチカーノからは戦前に引き続き多くの影響を受けていた。またウエストLAでは黒人と日系人が二大マイノリティーであったために、黒人と親しくなる者が多かった。
 主流社会では人種差別がまだまだ根強かった時代であるが、「ブッダ・ヘッド」と呼ばれていたジャパニーズ・アメリカン「JA」は、同じ有色人種には兄弟のような存在だったのである。
 
 日系人の中には白人ギャングに入るものもおり、当時サウスセントラルで有力だったベドウィンズのデヴィッド・ハカタは、仲間と改造車を乗り回し、アルゴンクインズやブラック・フアンズに加えて、ガーデナ・ボーイズやバロンズなどとも喧嘩していた。
 しかしやはり白人の不良は人種差別的な傾向があり、1948年生まれのマイク・ナカヤマのような少年には、日系人を攻撃する郊外白人の「サーファー」から自分たちを守ってくれるクレンショウのミニスターズは尊敬できる存在に映っていたという。
 
 この時期に生まれた有名な日系ギャングスターには、LA郡南部のヴァリオ・ハワイアン・ガーデンズ出身で、後にラ・エメメンバーとなった「ジャップ」・マイク・クドーがいる。
 またのちにシカゴで大物ギャングとなったケン・エトーも、1919年にカリフォルニアで生まれ、戦時の日系人収容で人生を狂わされた1人である。
 
 
・「バリオ」の日系人
 1950年代後半のイーストLAに住んでいたJAは、ギャングへの加入を迫られることはなかったが、「バリオ」の一員として敬意を持たれていた。
 
 チカーノたちは日系人の友人がよそ者と喧嘩する際に加勢することも当たり前であり、もし異なったバリオの日系人同士が喧嘩する際には、チカーノたちは喧嘩の見届け人(fighting reserve)として加勢したという。
 
 例として1960年代初頭に、ボイル・ハイツの日系ギャング、デヴェステーターズとクレンショウの日系人との間でもめ事が起こった時には、決着をつけるための1対1の素手の喧嘩に、ボイル・ハイツ側にはおそらくチカーノが見届け人についたのに対して、クレンショウ側は黒人を引き連れてきたという。
(ちなみに1960年代当時、黒人はスラングで「blood」と呼ばれていた)
 
 
・イーストサイドLAのトライアングル・ボーイズ
 1960年代中盤に、イーストLAのトライアングル・ボウルというボウリング場をたまり場にしていたグループが、サウスセントラル・ウエストサイドの老舗ギャング、ジェンツの支部であるプライム・ミニスターズ(ミニスターズ)と険悪な雰囲気となり、やはり1対1の決闘でミニスターズの1人を叩きのめす。
 
 しかしこれを根に持ったミニスターズは、縄張りにしていたドーシー高校に通っていたトライアングル側の決闘者を、校内で行われていたニセイ・リレイズ祭りの最中に集団で襲撃する。
 当時学校内には200人以上のミニスターズがいたといわれるものの、幸いリンチに参加したいと思うものは数名しかおらず、被害者は深刻なけがは負わずに済んだ。
 
 この襲撃は裏目に出た。
 黒人の真似をして暴力的だったミニスターズは、以前から多くのJAの憎しみを買っており、リンチ事件は彼らの怒りに油を注ぐことになったのである。
 こうしてLA各地からブッダ・バンディッツをはじめとする日系のギャングや不良少年が、反ミニスターズ派の急先鋒となったトライアングル・ボウルの少年たちの下へと集うことになる。
 
 すぐに同盟が結成され、ミニスターズを攻撃していく。
 当初は「イーストサイド」同盟と呼ばれたが、詳しい事情を知らないミニスターズはトライアングル・ボーイズと呼び、その後の抗争を通じてこの名前が定着した。
 
 
・「イーストサイド」対ミニスターズ
 抗争は互いにゲリラ的な襲撃、車に大勢乗せてのカチコミ、そして不用意にトライアングル地区に入った相手を叩きのめすといった形で行われた。
 しかし「トライアングル・ボーイズ」は地区のチカーノ・ギャングを刺激しないように、自分たちを恒久的なギャングに変化させることは慎重に避けていた。
 JAはボイル・ハイツではリトル・イーストサイド、ベルモントではロマ、そしてトライアングル地区ではエル・ホヨ・マラヴィーヤとラ・ロミータの後援を受けており、排他的な縄張りを作ってその好意を裏切ることは得策ではなかったのである。
 
 チカーノたちは「イーストサイド」を後援するだけではなく、実際に対ミニスターズ抗争にも参加した。
 ただでさえ劣勢だったミニスターズは、同じJAと戦うばかりではなく銃やナイフで武装した「エセズ」(チカーノの蔑称)に襲われることにもなったために、その士気は急速に萎えていった。
 対照的にウエストサイドでは黒人がJAに加勢することはまずなかったという。
 
 これに勢いづいたトライアングル・ボーイズは映画館、ボウリング場、日系の祭りでミニスターズを襲撃、クレンショウの隅々まで侵入して彼らを狩り出した。
 またそのころには往年の力を失っていたアルゴンクインズとも、彼らがミニスターズに味方したために抗争し、1名を何らかの復讐として刺している。
 
 
・その後のギャングたち
 1960年代後半にはミニスターズは壊滅状態となる。
 あるものはネイバーフッドを去り、あるものは州外に逃れ、またあるものはギャングに興味を失って麻薬におぼれていった。
 
 これを受けて「イーストサイド」同盟も解散、チカーノへの配慮もあって年少のものがトライアングル・ボーイズというギャングを受け継ぐこともなかった。
 日系少年たちはミニスターズから嫌がらせを受けることもなく再びLA中を自由に行き来することができるようになり、やがて進学、結婚、あるいはベトナム戦争への従軍と各々の進路を定めて消えていった。
 
 1969年にはミニスターズの残党が、ブラック・パンサー党に影響された青年政治組織イエロー・ブラザーフッドを結成している。
 前述のように、ミニスターズが崩壊したより大きな原因に深刻な麻薬汚染があり、彼らの地元では1年に31名がオーヴァードーズで死亡するような状況であったために、この社会状況を改善しようとギャングを捨てて立ち上がったのである。
 
 
・1970~80年代
 この時期には中流層の郊外脱出や故国日本から新たな移民の流入がなかったことなどが相まって、次第に日系人はLAのインナー・シティから消えていき、かつてはチカーノ、黒人、白人に次いで、フィリピン系や中国系などと並んで4~6番目程度の存在であったと思われる日系ギャングも消滅していくことになる。
 
 上でも述べたように、1960年代後半から70年代前半にかけてストリートギャング上がり、麻薬中毒者、獄中の受刑者のような、「アジア人のモデル・マイノリティー」というステレオタイプから外れた青少年たちが成長すると、イエロー・ブラザーフッドやアジアン・アメリカン・ハードコア(AAHC)などの相互互助組織的なイエロー・パワー・グループが現れてきた。その中でもAAHCは更生を目指す麻薬中毒者や刑務所内で政治的に感化された者からなる組織であった。
 以前からのギャングとの関係と同じように、イーストサイドLAの日系人がチカーノ・ムーブメントから大きく影響を受けていたのに対して、ウエストサイドの日系人はブラック・パワーからより強く影響を受けていたという。
 
 1970年代から80年代前半にかけてはマーシャル高校のマーシャル・ホームボーイズ、アジア系で最初のクリップスともいわれるクレンショウのブッダ・クリップス、リトル・トーキョーのトーキョー・ボーイズ、ウエストLAのウエストサイド・ジャップスなどのギャングが活動していたという。
 この時期の黒人と日系人の親しさを物語るものとして、ウエストサイド・クリップスの創設メンバー「ベアフット・プーキー」のインタビューで、「ドーシー」という日系人のことについてわずかながら触れられている。
「Barefoot Pookie, Co Founder of West Side Crips. (2007)」6分30秒ごろ
ttps://www.youtube.com/watch?v=Nx3NTxUn0C4
 
 その他、1950~80年代に有力だったシカゴの白人ギャング、ゲイローズのマイケル・スコットの自伝「ローズ・オブ・ローンデール」には、「サー・ジャップ」「リトル・ジャップ」という2人の日系人が登場している。
 
 
 
・ベイエリア
 上記の事情で1980年代以降の日系ストリートギャングについての情報は少ないが、日本語では以下の本がある。
 
「リアル・ギャングスタ ウエストサイド日系ギャング・元リーダーの告白」
 マイク”SATO”中山著 2009年 武田ランダムハウスジャパン刊
 
 1990年代後半にベイエリアの日系数人で「JVHQ」というギャングを設立し、ベトナム系の「VE」、韓国系の「サンズ・オブ・ソウル」というギャングと抗争していた人の話である。中高で麻薬を捌くディーラーから始まり、仲間を集めて小規模な縄張りを持つギャングになるまでの経緯がかなりしっかりした調子で語られている。
 東アジア人ストリートギャングについての本は英語でも少ないので貴重な存在である。
 
 ただ、題名はウエストサイドだが、実際の舞台は「ベイエリア」である(普通westsideはwest coastの意味ではなく、LA・サウスセントラルの「西側」のこと)。SF-オークランド-サンノゼ圏のことだとは思うが、著者がぼかして書いているので正確な場所はわからない。
 また著者自身も正確には確認していないようだが、メンバー数700人はあまりに多すぎる。ベイエリアでこの数はおそらく全盛期のSF華青を超えている。70人でも多く、実数は17人でもおかしくない。
 
 
 
 
 
・日系アメリカ人ギャング列伝
 
・ケン・エトー
 1919年生まれのシカゴのギャング。シカゴ・アウトフィット幹部ヴィンセント・ソラノを密告したことで知られる。
 彼については村上早人「モンタナ・ジョー – マフィアのドンになった日本人」、エレイン・スミス「TOKYO JOE – マフィアを売った男」と2冊も本がでており、日本語版wikiも英語版より詳しいので、詳しく知りたい人はそちらを読んでほしい。
 
 ただ1つだけ訂正すると、彼は「マフィアのドン」ではなく「アソシエイト」であり、グッドフェローズのヘンリー・ヒルのような「マフィアを売った男」である。
 イタリア人の犯罪組織であるマフィアには、アジア人どころか非イタリア系の白人すら加入を許されず、もちろん英語文献で彼をマフィアの正式メンバーとする物は1つもない。日本語版wikiの「シカゴマフィア界の幹部へと出世した」ももちろん間違いである。
 このことを考えると村上早人の本は相当割引いて読む必要がある。
 
 
・「ジャップ」・マイク・クドー
 ラ・エメに「武士道の掟」を紹介したと言われる殺し屋。彼の存在は映画「アメリカン・ミー」でも描かれている。
 引退後は数人の仲間とハワイへと移って覚せい剤取引を行っていたようで、「サレーニョスのハワイ侵略に先鞭をつけた」と言われている。
 
・ケニー・ケンジ・ガロ
 1980年代後半からLAで活動していた、コロンボ・ファミリーのアソシエイト。後に政府側の証人に転向し、自伝も出している。
 
・アダム・ナナメ(ナム)・カタオカ
 ヴァンクーヴァーの中国人・白人混合ギャング、ユナイテッド・ネーションズのアソシエイト。
 1992年に実業家ジム・パティソンの娘を誘拐して3年の刑を宣告されている。2009年にアルゼンチンで殺害。
 
 
 
 
 
 
・「ジャパニーズ/日本人」参考文献
ジャパニーズ・アメリカン・ギャング
http://www.streetgangs.com/billboard/viewtopic.php?t=1241
ブッダ・バンディッツ
http://www.streetgangs.com/billboard/viewtopic.php?t=56793
アジアン・アメリカン・ハードコアとイエロー・ブラザーフッド
https://web.archive.org/web/20040620054326/http://www.janm.org/whatsnew/press/gang.html
イエロー・ブラザーフッド
http://www.streetgangs.com/billboard/viewtopic.php?t=5959
イエロー・パワー
http://www.columbia.edu/cu/ccbh/souls/vol3no3/vol3num3art3.pdf
ソーカルのジャパニーズ・ギャング
http://www.streetgangs.com/billboard/viewtopic.php?t=54380
・戦後のLA
「The Forgotten Story of Japanese American Zoot Suiters 」日系人ズートスーター
http://www.discovernikkei.org/en/journal/2014/2/6/ja-zoot-suiters-1/
「アルゴンクインズ…」
Toshio Whelchel」「From Pearl Harbor to Saigon: Japanese American Soldiers and the Vietnam War」
10~13ページ
「Growing Up Japanese American in Crenshaw and Leimert Park」。「クレンショウのミニスターズ」。ほかにもYBとブラックパワーの関係など面白い話が多いが割愛
https://www.kcet.org/shows/departures/growing-up-japanese-american-in-crenshaw-and-leimert-park
上記ブッダ・バンディッツは、アレックス・アロンソの1999年の論文中では
ブラック・クラブとして扱われている。
アロンソの1999年の論文。79ページに1960年の黒人ギャングのターフ地図あり
http://digitallibrary.usc.edu/cdm/ref/collection/p15799coll16/id/29749
コメント欄にてご教示いただいたもの
https://latimesblogs.latimes.com/thedailymirror/2007/06/asian_gang_war.html
・「トライアングル・ボーイズ」
アーネスト・マスモト/Earnest Yutaka Masumotoが語るトライアングル・ボーイズの歴史
http://www.discovernikkei.org/en/journal/2014/4/18/triangle-boys/
「THE YELLOW BROTHERHOOD」。ミニスターズ崩壊の主因は麻薬とみる考えが主流と思われる
https://ianbone.wordpress.com/2008/12/02/the-yellow-brotherhood/
Scott Kurashige「The Shifting Grounds of Race: Black and Japanese Americans in the Making of Multiethnic Los Angeles」283ページ「死者31名」
・「日系アメリカ人ギャング列伝」
「ケン・エトー」
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/モンタナ・ジョー
https://en.wikipedia.org/wiki/Ken_Eto
「マイク・クドー」
http://www.policemag.com/blog/gangs/story/2008/03/gangs-on-ice.aspx
http://www.policemag.com/blog/gangs/story/2010/05/macho-men-gang-members-abandon-the-rules-of-engagement.aspx
「ケニー・ケンジ・ガロ」
https://en.wikipedia.org/wiki/Kenny_Gallo
「アダム・ナナメ(ナム)・カタオカ」
Man Killed in Argentina an Associate of High-Level UN Gangsters
 
 
 
・2018年12月6日:「戦後のLA」「日系アメリカ人ギャング列伝」を追記。これによって「日本人」の項が大幅に増量した。フラートン・ボーイズについても書いた。

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