ニューヨーク・ストリートギャング/1950年代
 
 
 
 
 
 
 
・始めに
・概要
 ・グリーサーの終焉
 ・ギャング一覧
・マンハッタン(ハーレム)
・ブロンクス
・ブルックリン
 ・サウス・ブルックリン・ボーイズ
  ・マフィアとストリートギャング
・メディア
 ・映画と小説
  ・勃興/成熟/感傷/その後
 ・音楽
・参考文献について
 
 
 
 
 
・始めに
 一般にNYのストリートギャングと聞いて多くの人が思いつくのは、1960年代後半のブラック・パワー運動以降の黒人とプエルトリコ人のギャングだろうが、しかし1950年代のNYでは、ウエストサイド・ストーリーに描かれているようなグリーサー・ギャングが主流であり、イタリア系やアイルランド系の白人も多かった。

 日本語圏では当時のNYについての本は多数出版されており、その余波で彼らについてもおぼろげながら知られているようではある。
 またキリスト教系の出版社角笛出版が「The Cross and the Switchblade/十字架と飛び出しナイフ」を翻訳してくれているおかげで、一部のギャングは正確な姿も伝わっている。
 しかし何せ個々のギャング名が「マウ・マウ団」「シャーク団」と訳されるような状況では、アメリカギャング史における彼らの立ち位置についてやや理解しがたい面があると思うので、アップデートの意味も兼ねてウェブ上に書いてみることにした。
 もちろんいつものように、「現地では有名ギャングなのに日本語のウェブ上にはカタカナ名すらない」という寂しい状況を何とかするのが第一の目的である。

 NYは今も昔も多くの中小クルーが乱立する都市であり、さらに半世紀以上前のことで情報が少ないので、この街のストリートギャングを理解するには個々の人物どころかギャングをも離れて一種の群雄割拠劇として観るしかない。
 しかしありがたいことに映画と小説には「典型的なイタリア系の不良少年」を描いた作品が多くある。
 そこでこれらを取り上げた「メディア」では、娯楽作品による第二の通史を試みており、ここは読みやすいと思うので概要とともにお勧めしたい。
 
 
 
 
・概要
 本文はニューヨークの1950年代のストリートギャングについて簡潔に述べたものである。一般的にはギャング=モブ(組織犯罪)であるが、ここでは青少年の不良グループのことを指す。

 イタリア系、プエルトリコ系、黒人の12歳から20歳の青少年が主なメンバーであり、1950年代後半の時点でギャング数は100以上、そのメンバーは6000人程度と見積もられている。
 黒人ではビショップス、チャプレインズ、ラテン系ではマウ・マウズ、ヴァイスロイズ、イタリア系ではレッドウイングス、ゴールデン・ギニーズ、そしてサウス・ブルックリン・ボーイズが強力であり、そのほかにもあまたの群小ギャングがわずか数ブロックの覇権をめぐって争いあっていた。

 組織構造は上から、リーダーのプレジデント、側近のヴァイス・プレジデント、参謀のウォー・カウンセラーであり、ビショップスのように100人を超えるような大ギャングでは、より若い者のためにジュニア・ギャングが結成された。
 
 
 彼らはまたその髪型と整髪剤からメキシコ人への蔑称である「グリーサー」とも呼ばれた。
 一般的にはグリーサーはバイクやホットロッドなどを好む不良少年のことであり、1950年代の全米的な流行ではあるのだが、しかしNYでは以前からのギャング文化とも密接に関係し、イタリア系のものは後にマフィアに加入したものも多かった。

 彼らはズートスーツやレザージャケット、チーム名を刺しゅうしたサテンのジャケットなどを好んで着込んだ。
 喧嘩は「bop」と呼ばれ、野球バット、飛び出しナイフ、自転車のチェーン、そして粗悪なお手製のジップ・ガンを使って行っていた。
 数十人規模の乱闘もさほど珍しいことではなかったというが、しかし1950年代終盤には暴力が過激化した結果、数人のメンバーが敵のターフに潜り込んで一人でいるものを奇襲するというゲリラ戦法「ジャッピング(Japping)」が盛んにおこなわれるようになった。
(もちろんこの名前は「敵を日本人のように襲う」という意味だろう)。
 
 
・グリーサーの終焉
 1950年代は少数民族の政治的覚醒が始まる前の時代であり、いまだインナー・シティに白人が大勢住んでいたころでもあった。
 人種対立は顕在化してはいなかったが、ギャング・ターフは民族ごとの居住区に依拠するために、多くのギャングは人種ごとにまとまる傾向があった。

 しかし1950年代を通じて全米大都市では有色人種の流入が続き、NYでは1950年から1970年の間に黒人は45万人から166万人、ラテン系は12万人から127万人へと激増し、逆に白人はホワイト・フライトによって100万人以上が減っていった。
 新たな主人を迎えることになったインナー・シティでは、有色人種への高層団地への移住を促すスラム・クリアランス政策によって今日のゲットーの基礎が作られていくと、その後数十年にわたってギャングと麻薬売買の病巣となっていくことになる。

 白人たちは押し寄せる有色人種相手の勝ち目のない戦いに人知れず敗北していき、かつては悪名をとどろかせた多くのギャングがターフを失って自然消滅していった。
 郊外に四散して移り住んだ白人グリーサーは、中流社会の中で強固な団結を保つことができずに消えていき、その文化が黒人やプエルトリコ人に受け継がれることはなかった。

 さらに1960年代に入るとベトナム戦争が「古き良き」時代を終わらせ、フレンチ・コネクションの興隆がヘロインを爆発的に広めた。
 レイルロード・ボーイズの「ロバート」によると、それまではドラッグと言えばある種の咳止め薬程度が山だったが、ケネディ暗殺後から急にヘロインが街中にあふれだした感があったという。

 政治運動の盛り上がりのために1960年代を通して全米的にギャング活動は減る傾向があったが、その退潮とともにギャングも再び息を吹き返し、社会問題に苦しむマイノリティの青少年のていのいい怒りのはけ口になった。

 イタリア人はストリートからは消えていったが、凶悪犯罪は収まらずに、殺人件数は1969年に1043件を記録しその後25年以上1000件を割ることはなかった。
 1967年には三分の二、1970年には五分の四が黒人かプエルトリコ人のギャングになっていたと言わる。 
 やがて1960年代後半から登場するブラック・スペーズやサヴェージ・ノーマッズが、各地の麻薬王とLAやシカゴのメガ・ギャングとともに、アメリカ裏社会に本格的な有色人種の時代をもたらしていくことになる。
 
 
「概要」参考文献
グリーサー
https://en.wikipedia.org/wiki/Greaser_(subculture)
グリーサーの歴史
http://zani.co.uk/culture/589-chicago-stone-greasers-a-history
ウエストサイド・ストーリーから50年
http://www.telegraph.co.uk/culture/donotmigrate/3556888/50-years-of-West-Side-Story-the-real-Gangs-of-New-York.html
NYの人口史
https://en.wikipedia.org/wiki/Demographic_history_of_New_York_City
ピート・ハミルが戦後のブルックリンについて語った1969年の文章
http://nymag.com/news/features/46992/index2.html
 
 
 
・ギャング一覧
・マンハッタン
・ハーレム
・白人
レッドウイングス(イタリア系)
エンチャンターズ(アイルランド系)

・プエルトリコ人
ヴァイスロイズ
ドラゴンズ
チェロキーズ
・1954年にドラゴンズの16歳の少年を殺害している。
 
 
・黒人
エジプシャン・キングス
スポーツメン
アサシンズ
シナーズ

・ワシントン・ハイツ
ジェスターズ
アムステルダムズ
 
 
・ブロンクス
・白人
・イタリア系
ゴールデン・ギニーズ
フォーダム・ボールディーズ
ライトニングス
・アイルランド系
ダッキー・ボーイズ
ジェンツ
アイリッシュ・ローズ
アイリッシュ・デュークス

・プエルトリコ人/黒人
ヴァリアント・クラウンズ
ロイヤル・ナイツ
ヤング・ローズ(シカゴ由来の政治団体。主に1968年から1974年頃まで活動)
シナーズ
エジプシャン・クラウンズ
 
 
・ブルックリン
・アイルランド人
スキッド・ロウ

・プエルトリコ人
ファントム・ローズ
エル・クイントス
・兄弟組織にアウトローズがある。

・黒人
ビショップス(ベッドフォード・スタイヴェサント)
チャプレインズ
ジョリー・ストンパーズ
・1960年代に結成され、マイク・タイソンが一時期入っていたこともあるという。
 
・イタリア人
ジョーカーズ
ジャクソン・ジェンツ
バロンズ
ロッカウェイ・アンド・フルトン・ボーイズ
アヴェニュー・U・ボーイズ
ランパーズ
ディトマス・デュークス

・サウス・ブルックリン・ボーイズ(SBB、連合組織)
サウス・ブルックリン・デヴィルズ
サウス・ブルックリン・エンジェルズ
サウス・ブルックリン・ダイアパーズ
ガーフィールド・ボーイズ
ディアブロズ
ワンダラーズ
デグロウ・ストリート・ボーイズ
サケット・ストリート・ボーイズ
バトラー・ジェンツ
リトル・ジェンツ
ゴーワヌス・ボーイズ
ケーン・ストリート・ミジェッツ
サヴェージズ
ヤング・サヴェージズ
テスターズ
セネターズ

・クイーンズ
ヴァンダルズ
アストリア・エンチャンターズ
パークサイド・ジェンツ
セインツ
デュークス
 
 
 
 
 
・マンハッタン(ハーレム)
 19世紀後半からNYに移住してきた南イタリア人たちは、すでにNYのスラムで確固たる地位を築いていたアイルランド人と住居や職を奪い合うようになっていく。
 やがてそれも収まりイースト・ハーレムのイタリア人居住区はデーゴ・ハーレムと呼ばれるようになったのだが、二次大戦が終わると今度は新来のプエルトリコ人を隣人として迎えて争いあうことになった。
 その結果は郊外への大量脱出「ホワイト・フライト」に終わり、イースト・ハーレムのイタリア系住民は1950年には5万人いたのだが、1960年には1万6千人へと激減しており、1990年には1000名以下となっている。

 現在ではこのラテン系の居住する地区はスパニッシュ・ハーレム/エル・バリオと呼ばれ、かつてのイタリア人街の面影はわずかである。
 
 
・レッドウイングス
 この衰退するハーレムのイタリア人街での最大勢力は、1940年代後半に結成されたレッドウイングスであった。
 彼らはヴァイスロイズやドラゴンズのようなプエルトリコ系のギャングのみならず、同じイタリア系のフォーダム・ボールディーズとも争っていた。

 1954年ブロンクスのオーチャード・ビーチに遊びに来た6人のレッドウイングスは、一体を縄張りとするボールディーズの一群と遭遇する。
 10分ほどのにらみ合いの後、レッドウイングスは数に勝るボールディーズに追い払われ、何とかイースト・ハーレムの地元に逃げ帰った。
 しかし怒りに震えるレッドウイングスは銃を持ち出し、再びブロンクスへと乗り込むと、ボールディーズがたまり場とするキャンディ・ストアにたまたま居合わせた非メンバーのアーネスト・モントゥオロを殺害している。

 1958年レッドウイングスはキューバ移民のフリオ・ラモスが恋人と一緒にジェファーソン・パークにいるところを見とがめて、彼を「スピック」と罵倒して詰め寄り、アルフレッド・カティノの先導で暴行して殺害している。
 ドラゴンズとヴァイスロイズはこのヘイトクライムに怒り、一時は共同戦線を組んで報復しようとしたとも伝えられている。

 レッドウイングスはまた、1959年にノースメンのダニエル・ガルシアを殺害しているが、この後は音沙汰なく、1960年代の間に消滅したものと思われる。
 
 
 アルフレッド・カティノは後にフレンチ・コネクションに関わり、2016年には麻薬密輸で75歳にして9年の刑を科されている。
 
 
 
・黒人・プエルトリコ人
 マンハッタンでの最大勢力はヴァイスロイズであり、ドラゴンズ、デーモンズ、エンチャンターズらと抗争を繰り広げていた。

 1957年エジプシャン・キングスとドラゴンズのメンバー2人が、当時15歳の白人少年マイケル・ファーマーをジェスターズの一員であると疑い殺害する。

 この殺人は後述するヴァンパイアズのケープマン・マーダーとともに社会に衝撃を与え、後に出版される1950年代のギャングを扱ったエリック・C・シュナイダーの著書の題名も、マウ・マウズやゴールデン・ギニーズを差し置いて「ヴァンパイアズ・ドラゴンズ・アンド・エジプシャン・キングス」となったほどである。

 また事件は当時上演一か月前だったミュージカルのウエストサイド・ストーリーに大きく影響を与え、カトリック対ユダヤとして構想されていた物語がプエルトリコ人対イタリア人へと変わったという。
 
 
 1960年にはヴァイスロイズがドラゴンズのウイリアム・ジェンキンスを襲撃し車いす状態にしている。
 ジェンキンスはその後もしぶとく犯罪者の人生を送ったが、約半世紀後に死亡し、その死は古傷による49年越しの「殺人」と判断された。
 
 
「マンハッタン」参考文献
イタリアン・ハーレムの歴史
http://thehistorybox.com/ny_city/italian_harlem_cruisin_50s_no_2_nycity.htm
レッドウイングスとフォーダム・ボールディーズ
http://newyorkcitygangs.com/?page_id=192
ラモス殺害
http://newyorkcitygangs.com/?page_id=1208
カティノに9年の刑
http://www.nydailynews.com/news/crime/man-links-french-connecticut-heroin-ring-9-years-article-1.2676637
レッドウイングス
https://italianharlem.com/tag/harlem-redwings/
ウエストサイド・ストーリーとマイケル・ファーマー殺害
https://www.npr.org/templates/story/story.php?storyId=12350113
NYギャングの通史
http://www.gothamgazette.com/criminal-justice/1598-the-real-gangs-of-new-york
ギャングとパーク・スロープでの飛行機事故
http://youngbloodnyc.blogspot.jp/2014/09/no-jazzin-before-rumble-1960s-gangs-and.html
49年後の「殺人」

 
 
 
 
・ブロンクス
 最大勢力であるイタリア系のゴールデン・ギニーズはナヴァホスを主な抗争相手とし、イタリアン・ベレッタズとも戦っていた。
 黒人たちに恐れられていた彼らは1970年代にまで生き残り、ウォー・ピッグスと同盟しミニスターズ・ブロンクス連合を組んで、ブラック・スペーズやサヴェージ・スカルズとも抗争したことがあるという。

 もう一方の雄がフォーダム・ボールディーズであり、ハゲタカから名づけられた彼らは、映画ワンダラーズでは全員スキンヘッドのギャングとして登場している。
 地区の青少年に実像以上の恐怖を与え、「ボールディーズが来るぞ!」という噂が流れると学校中がパニックに陥ったという。

 アイルランド系ではダッキー・ボーイズが強く、KISSのエース・フレーリーやWASPのブラッキー・ロウレスがメンバーだったこともあるという。
 ボタニカル・ガーデンズのカモ池でカモをスリングショットで打って遊んでいたというのんきな逸話とは裏腹に強面の集まりだった彼らは、1960年代のブロンクスでは最も恐れられた存在であったというが、1972年ごろには消滅したと見られている。
 彼らについてはジェームス・ハノンが「ロスト・ボーイズ・オブ・ザ・ブロンクス」を著している。
 
 
「ブロンクス」参考文献
フォーダム・ボールディーズ
http://lantern-media.com/BronxGangs-FordhamBaldies.htm
 
 
 
 
 
・ブルックリン
・黒人
 ベッドフォード-スタイヴェサントを中心に、おそらくは1940年代前半からビショップス、チャプレインズなどが存在した。

 両者ともに強大な存在であり、1953年にチャプレインズの3人がビショップスのルーサー・ギブソンを45口径の軍用拳銃で殺害している。
  
 
 
・プエルトリコ系
 1954年アパッチズの武闘派のメンバーが、ヘロイン漬けになっていたギャングの仲間たちを見限り黒人主体のチャプレインズに転向し、ケニアの反英闘士たちにちなんでマウ・マウ・チャプレインズを結成すると、すぐに単なるマウ・マウズとして知られるようになる。

 当時の人種偏見にも後押しされて、マウ・マウズはブルックリンで最も悪名高いギャングの一つとなったという。

 1958年リーダーのニッキー・クルーズがキリスト教への回心によって脱退する。
 仲間のイスラエル・ナルヴァエスも一時的に付き添ったものの、すぐにギャングに戻りマウ・マウズの新たなリーダーとなると、サンド・ストリート・エンジェルズの一人を殺している。
 
 
 クルーズはその後福音派の教会であるニッキー・クルーズ・アウトリーチを創立し、ナルヴァエスを含む多くの人間の更生に力を貸したという。

 しかし残されたメンバーの多くはギャングであり続けるか、ほかのギャングに移っただけであり、中でもサルヴァドール・アグロンは後にヴァンパイアズを結成し、ケープマン・マーダーとして知られる1959年の誤認殺人を引き起こしている。

 アグロンはその後わずか17歳で電気椅子による死刑宣告を受け、シン・シン刑務所にて処刑を待つばかりであった。
 しかしエレノア・ルーズヴェルトやプエルトリコ知事らの減刑嘆願が功を奏し、終身刑になっただけで済み、さらに1979年には釈放されて、1986年にブロンクスで死去している。
 
 
 ブルックリンではほかにも、1954年にエル・クイントスの15歳の少年レイモンド・ホレーが殺人で電気椅子に送られそうになっているが、何とか逃れて30年の服役で済んでいる。
 
 
 
・白人
 ブッシュウィックのエレリー・ボップスはジョニー・サンダースとそのドラマーのジェリー・ノーランがメンバーだったという噂がある。

 1960年メンバーの「ジューボーイ」を殺害されたバッカニアーズは、翌年にはストンパーズ、メダリオン・ローズ、インぺリアル・ローズのメンバーを各一人ずつ殺害し返している。
 
 
 
・イタリア系
 サウス・ブルックリン、その中でも特にレッド・フック・プロジェクツを中心とする一帯は、イタリア人が多く住む地域であった。
 1950年代後半にマウ・マウズやビショップスなどに脅かされていると感じたイタリア系ギャングは、サウス・ブルックリン・ボーイズ連合を結成し、対有色人種の時には団結することを誓い合った。
 同じイタリア人で少数精鋭のジョーカーズやレッド・フック・タイガースとも個々に抗争している。
(SBBの構成ギャングはギャング一覧に記述した)。
 
 
「ブルックリン」参考文献
マウ・マウズ
https://en.wikipedia.org/wiki/Mau_Maus
ニッキー・クルーズ
https://en.wikipedia.org/wiki/Nicky_Cruz
2つのマウ・マウズ
http://owaahh.com/the-mau-maus-of-new-york-and-california/
スキッド・ロウ対ジョーカーズ、テスターズ
http://www.nydailynews.com/archives/boroughs/loved-yeah-yeah-yeah-article-1.637508
 
 
 
 
 
・マフィアとストリートギャング
 黒人、プエルトリコ人、そしてアイルランド人のストリートギャングは、その悪辣さではイタリア人に引けを取らない存在であったが、しかし上部に出世先としての大規模な犯罪組織を持たず、たとえ暗黒街にとどまった場合でもその多くは闇に消えていった。

 一方でイタリア系のストリートギャングは「愚連隊」的なマフィア予備軍であり、そのメンバーにはいわゆる二軍としてマフィアのために働くものも多かった。
 マフィアに入った主な人物としては以下の面々があげられる。

・フルトン-ロッカウェイ・ボーイズ
ジョン・ゴッティ
サルヴァトーレ・ルッギエーロ
アンジェロ・ルッギエーロ

・ガーフィールド・ボーイズ(ベンソンハースト)
カーマイン・ぺルシコ
ジェナーロ・ランゲッラ
・コロンボ・ファミリーのアンダーボス

・サウス・ブルックリン・ボーイズ
アンソニー・「ガスパイプ」・カッソ
・ルッケーゼ・ファミリーのアンダーボス

・アヴェニュー・U・ボーイズ
フランク・リノ
・ボナンノ・ファミリーのカポ

・ランパーズ
ジェラルド・パッパ
サミー・グラヴァーノ
トマス・スペロ
ジョー・ヴィタレ
 
 
 またSBBは1960年代を通じて当時のマフィアきっての武闘派「クレイジー」ジョー・ガロのクルーに兵隊を供給していたというはなしもある。
 加えていくつかのグループはマフィアの事実上の下部団体となり、ルッケーゼ一家のタングルウッド・ボーイズ、ガンビーノ一家のオゾン・パーク・ボーイズ、ボナンノ一家のバス・アヴェニュー・クルー、ジェノヴェーゼ一家の116th・ストリート・クルーなどと友好的であったという。
 
・参考文献
モブ予備軍
http://www.cosanostranews.com/2014/07/where-mob-once-found-its-members.html
マフィアとストリートギャング
http://newyorkcitygangs.com/?page_id=1336
 
 
 
 
 
・メディア
・映画と小説
・勃興
 ニューヨークの不良少年たちについては1950年代~1960年代にかけて多くの映画・小説が作られた。

 もっとも初期のものと思われるのは、アーヴィング・シュールマンの1947年の小説The Amboy Dukes/アンボイ・デュークスである。
 ブルックリンはブラウンズヴィルのユダヤ系の少年たちを描いたこの作品は500万部を売り上げたほか、続編も二作書かれ、1949年にはCity Across The Riverの題で映画化もされている。

 1950年代に入り少年犯罪が大々的に社会問題化してくると、エヴァン・ハンター(エド・マクベイン)は、1955年のBlackboard Jungle/暴力教室、1961年のThe Young Savages/明日なき十代など多くの小説を発表し、警察小説の俊英として彼らを見守る大人たちはどうあるべきかを世に問うた。

 実録作品としては、デイヴィッド・ウィルカーソン牧師とマウ・マウズのニッキー・クルーズの出会いとその時の回想録が、1962年にThe Cross and the Switchblade/十字架と飛び出しナイフとして出版され、1970年には映画化もされている。
  
 NYの不良少年たちはただ映画の題材になるだけではなく、彼ら自身が流行りの映画から多くの影響を受けており、カリフォルニアのホリスター暴動を題材にしたThe Wild One/乱暴者以降はレザージャケットが流行ったという。
 そのほかにもジェームス・ディーンやマーロン・ブランドの主演作品など多くの映画が彼らに影響を与えており、この点では彼らはアメリカ中の郊外や田舎の若者と変わらなかったといえる。
 しかしアメリカの他地域とは明確に異なる「帝都」NYの際立った多民族性は、この地のイタリア系不良少年たちに、いわゆる「理由なき反抗」とは違うより悪質な色合いを与えていた。
 人種差別である。
 
 
・成熟
 第二次世界大戦後ナチス・ドイツの醜行から多くを学んだアメリカ人は、WASPの優越という考えを徐々に捨てていった。繁栄を謳歌する1950年代のアメリカで、地中海人種という言葉は後ろに引き、イタリア人は改めて「白人」となった。
 しかし彼らの実態はと言えば、相も変わらずに貧しいゲットーでの暮らしを強いられる下層民であり、さらに背後に迫ってきていた黒人とプエルトリコ人は、もし彼らと共生したならば、イタリア人社会そのものを底の見えない貧困と犯罪に引きずり込むかに思われた。
 レッドウイングスやゴールデン・ギニーズは、親兄弟の人種偏見に後押しされて有色人種を脅かしていたのである。

 そうした社会状況の中で、1957年にはウエストサイド・ストーリーがブロードウェイで上演、1961年には映画が公開される。
 マンハッタンのアッパーウエストサイドでのイタリア人とプエルトリコ人の争いにロミオとジュリエットの悲劇を重ね合わせたこの作品は、また被差別民族自身が行う人種差別に向き合った作品でもあった。
 当時のイタリア人は概して異人種間の結婚に否定的であり、それはギャングでも例外ではなかったというが、そうした中で社会に反抗する恋人たちの良識を描いた本作は、ストリートギャングであることの高揚感を数々の名曲に乗せて描き、疑いなしにアメリカが産んだ最も偉大な「ギャング映画」の一本である。
 
 
 その後の公民権運動によって、少なくとも社会的了解としての暗黙の人種差別は消えていくことになったが、「解放」と同時に有色人種ギャングの暗黒街での地位も高まり、麻薬網の末端から這い上がろうとする者たちの苦難が始まることとなった。
 ブラック・パワーの影響が行きわたる以前に、彼らの多くが徐々に白人化していたロックンロールやブルースからは離れていた。
 貧困と抑圧が産んだ「古き悪しき世界」の象徴だったからである。

 一方で白人側では、ベトナム戦争を好機と見た資本主義世界での革命の機運は、副産物として多種多様な文化を抱え込んだヒッピーを生み、グリーサーたちを早くも「保守派」の位置へと追いやっていた。
 貧困層に生まれて、徴兵逃れのために大学に行くこともできずに高校卒業とともにベトナムへと送られた多くの少年たちにとっては、グリーサーの「早すぎた埋葬」はまさに青春の喪失そのものであった。

 1960年代の大変動はグリーサー・ギャングをそのよって立つ社会ごと押しつぶし、その往時の黒い輝きも消えていったが、しかし彼らの精神的な砦であるロックンロールはドゥー・ワップやビー・バップのように消えていくことなくロックへと昇華され、その兄貴分ともいえるグリーサーの文化をも世界中に広めていった。
 また西からはヘルズ・エンジェルズが多くの軽薄な賛美映画を伴い、バイカーギャングというまったく新たな義侠像を創造しつつあった。
 
 
・感傷
 1970年代からは「ベトナム以前」の象徴であるグリーサーやロックンロールに対するベビー・ブーマーのノスタルジアが高まり、それに目を付けた大資本によって多くの映画が作られた。
 ジョージ・ルーカスのアメリカン・グラフィティ(1973)から始まった散発的なリバイバルは、ジョン・トラヴォルタ主演のグリース(1978)、フランシス・コッポラのアウトサイダーズ(1983)とランブルフィッシュ(1983)、ウォルター・ヒルのストリート・オブ・ファイアー(1984)と続いていく。

 こういった白人男性による作品には名作佳作が入り混じるが、どれも夢想的な作品であることが共通していた。
 当時の不良少年が10年後の1960年代のことなど考えていなかったのと同じように、これらの映画の制作者たちもやはり過去を振り返る際に、革新の1960年代を産むことになった様々な要素に背を向けているのである。
  
 こういった作品の中では、1974年のThe Lords of Flatbush/ブルックリンの青春(1974)、ラルフ・バクシのアニメ映画Hey Good Lookin’(1982)がブルックリンを舞台としている。
 またやや時代はずれるがThe Education of Sonny Carson / 番長ブルースUSA(1974)も、低予算作品ながらも同時代の黒人ギャングの姿をよく描いていた。この映画はウータン・クランやモブ・ディープの作品によくサンプリングされているので、聞き覚えのある人は多いだろう。
 
 
 そして1979年には、ブロンクス生まれのユダヤ人リチャード・プライスの小説を原作とした、本文にとってはまさに真打ちというべき映画「ワンダラーズ」が公開される。
 1963年のブロンクスを舞台にした本作は、登場人物の多くがイタリア系であり、失われたアメリカと失われた白人街への郷愁がやはりイタリア系のディオンの曲に乗せて語られるこの作品は、グリーサー・ギャングへの葬送歌にふさわしい作品だった。

 また同じ1979年には「ウォーリアーズ」が公開されている。
 1970年代前半のストリートギャング全盛期からはやや遅めの制作であり、ヒーローもののようなコミカルな作風ながらも、1950年代のグリーサーと1980年代のドラッグ・ギャングとに挟まれた彼らの姿を保存する貴重な一本となった。
 
 
 時代はまさにクラック前夜であり、得体のしれないクルーが跳梁跋扈するNYでは、このころにはもはや「白人ストリートギャング」そのものが再起不能となっていて、グリーサーなど全く過去の遺物でしかなかった。
 
 
・その後
 そしてこの流れで見るならば、ロバート・ゼメキスのバック・トゥ・ザ・フューチャー(1985)は、まさに世代が一回りしたことを告げる記念碑的な作品であり、父母の世代とその文化を消し去った多くのものを「飛び越える」ことによって1950年代を一つの異世界として描くその陰のないストーリーは、アメリカがついにベトナムの呪縛と「喪失」から解放されたことを示していた。
 またこの作品は、1985年では普通の高校生であるマーティが1955年には不良扱いされるという社会道徳の相対性を描くことによって、道徳への反抗者としての若者を主役とする「善き不良物」の消滅をも暗示していた。
 
 
 このころには1950年代の不良少年で、後にマフィアに入った男たちのギャング人生の決算もあらかたついており、1987年にはカーマイン・ぺルシコ、1992年にはジョン・ゴッティが有罪を宣告されて、残りの生涯を刑務所で暮らすこととなる。

 1990年代のグッドフェローズ(1990)やブロンクス物語(1993)といった映画はいわばこういった不良少年たちの後日談であり、マーティン・スコセッシは後に彼らのルーツを求めてギャング・オブ・ニューヨーク(2002)では19世紀にまでたどり着いている。
 
 
 グリーサー・ギャングを題材とした近年の作品としては、1998年にはジョン・ヴィカラの小説The Vandals/ヴァンダルズ、2002年には映画デュース・ワイルドが制作されている。
 
 
 
・音楽
 1950年代はまだストリートギャング出身が売り物になる時代ではなかったので、その文脈で目立つ存在は少ないが、その中で特筆するべきは「ストリート・コーナー」で生まれたドゥー・ワップである。
 黒人が1940年代に発明した音楽であるが、人種混合グループが多く、1958年からはブルックリンとブロンクスからイタリア人ドゥー・ワップ・グループが現れてきた。
 
 1960年代にはサウス・ブロンクス出身のサルサ歌手ウイリー・コローンがエル・マロ(悪党)を自称し、ストリートの緊迫した雰囲気を世界に伝えた。
 
 1970年代にはNY出身のシャ・ナ・ナが懐古的なロックンロール・パロディで好評を博した。
 ロックではNYは裏社会に置けるような存在感は発揮できていないのだが、そういう目で見るならまさにグリーサー・ギャングそのもののラモーンズがグリーサー時代に引っかかる最後の大物だろう。
 
 一方同時期に黒人ギャングのゲットー・ブラザーズは同名のファンクバンドを結成し、さらにはブラック・スペーズやサヴェージ・ノーマッズの元メンバーがヒップホップを創造していくことになるが、それはまた別の話である。
 
 変わったところでは、ポール・サイモンが1998年にサルヴァドール・アグロンを主役とした戯曲The Capemanを書き上げ、彼の曲Satin Summer Nightsは本文で取り上げた多くのギャングを羅列している。
 またキング・クリムゾンのFallen AngelもWest Side Skylineのギャングについて歌っている。
(ヘルズ・エンジェルズについての唄という説もあるが、歌詞にSixteen years through knife fights and dangerとあり、Sixteen Years(old)ではHAに入会できないのはほぼ常識なのでおそらく違う)。
 
 
 
・その他
 GTAシリーズで知られるロックスター社の2006年の学園物ゲーム「Bully」にもグリーサーが登場し、イタリア系のグループとして、その1950年代的世界観とうまく調和しているように見える。
 ただしこの場合はグリーサー・ギャングというよりは、サブカルチャーとしてのグリーサーの集まりという印象を受ける。
 ジョック、ナード、プレッピーといったステレオタイプの中で、おそらくはグリーサーだけが完全に過去の存在であるのだが、それでも登場できているのはいかに過去の学園物の中で彼らの存在が大きかったかということの証拠だろう。
 
 
 アメリカギャング史ではグリーサーは、ギャングカルチャーの商業化に先鞭をつけたおそらくは最初期の存在である。
 2017年現在では愛好者の心以外を動かすことのない安全なサブカルチャーの一種であるが、文化・ライフスタイルとしてのこの落ち着き方は、他のギャング文化のたどった/たどる道を考える際に何らかの参考になるだろう。
 
 
 
・参考文献について
 en.wikipedia、シカゴ・ゲイローズのサイト「ストーングリーサーズ」、そして1950年代のギャングを研究するサイト「ニューヨーク・シティ・ファイティング・ギャングス」を主な情報源とした。
 en.wikipedia中心にある程度省略したが、ネット上の情報がほとんどなのであまり問題はないだろう。

「ニューヨーク・ストリートギャング/1950年代」総合参考文献
ニューヨーク・シティ・ファイティング・ギャングス
http://newyorkcitygangs.com/
ストーングリーサーズ
http://www.stonegreasers.com/greaser/new_york_gangs.html
主にダッキー・ボーイズについてのサイト
http://lantern-media.com/LanternBronxGangs.htm
サウス・ブルックリン・ボーイズ
https://en.wikipedia.org/wiki/South_Brooklyn_Boys
ダッキー・ボーイズ
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Ducky_Boys_gang
スカル・ギャングの元メンバーの回想
https://papajoesfables.wordpress.com/2012/06/02/memories-of-bronx-teenage-gangs-of-the-1950s/
イタリアン・デュークス、レイルロード・ボーイズ、マジェスティックスなどの元ギャングメンバー数人へのインタビュー
https://www.vice.com/en_us/article/mv9j34/fashion-v13n10
「The Bandana Republic」 Louis Reyes Rivera。下はその一部の引用
http://www.nathanielturner.com/fromgangsoftheghettotogangstasoftheinner%20City.htm
「Gangs in America’s Communities」  James C. Howell

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