ストリートギャング・ポートランド/オレゴン
 
 
 
 
 
 
 
 
・概要
・ストリートギャング
 ・概要
 ・稼業
 ・歴史
 ・抗争
 ・ラテン系
・白人至上主義者
 ・前史
 ・1988年の殺人
 ・「スキンヘッド戦争」
 ・獄中にて
  ・ヴォークスフロントの誕生
  ・新生ヴォークスフロント
  ・全盛期
  ・消滅
 ・プリズンギャング
  ・ユーロピアン・キンドレッド
  ・ブルード
・バイカーギャング
 
 
 
 
 
・概要
 米国北西部に位置するオレゴン州は400万の人口を抱えており、そのなかでも最大の都市ポートランドはアメリカで最も急速に発展している都市であり、2000年から2017年までに12パーセントの人口増加を見ている。
 米国の大都市には珍しく白人が多数派であり、人口63万人のうち白人が70パーセントを占めるほか、ヒスパニック9パーセント、アジア系7パーセント、黒人6パーセントが居住している。

 この白人優位の人種構成のために、ポートランドは米国の大都市としては珍しく有色人種のストリートギャングのほかに白人至上主義ギャングが目立つ土地である。

 本文では主にストリートギャングと白人至上主義者の動向を述べる。
 かつてオレゴンにはビッグ・ジム・エルキンスなどの大物ギャングがおり、現在でもロシア、中国、メキシコ本国の組織が暗躍しているようではあるが、本文では取り扱わない。

 参考文献は各章末尾に付す。

 
人種構成
https://statisticalatlas.com/place/Oregon/Portland/Race-and-Ethnicity
 
  
  
 
 
・ストリートギャング
・概要
 ポートランドは白人が優勢であるため、現代ストリートギャングの主力である黒人は市北部や州間高速道路205号線の東辺境部に追いやられており、主に疎外感と貧困を感じる青少年がギャングに加入しているという。

 ストリートギャングのメンバー数は1990年代中盤には推定2200名を数えたが、その後の人口増加にもかかわらず2005年には関係者2000名、うちハードコア・メンバー400名程度にとどまっている。
 2013年には114団体に2500名、ハードコア・メンバー600名が推定されているが、一方でこういった警察作成のギャング・リストには疑問点が多く、リストは2017年に市民の抗議により全面的に破棄されている。

 2000年代にはギャング関係の銃殺事件数も8件以下と低調であったが、2011年に殺人数24件8件がギャング関係であったのを境に上昇し始めている。

 とはいえやはりストリートギャングの活動は不活発で、ポートランドが属するマルトノマ郡の約10000人の違反者のうち、ギャング関係者はたった4パーセントにすぎないという。
 
 
・基礎知識
クリップス/ブラッズ:LA発祥のギャング同盟。二次同盟(団体)にはクリップスならイーストコーストやネイバーフッド、ブラッズならパイルズやブリムズなどがある。ただしクリップスとフーヴァーズはやや微妙な関係である。
サレーニョス:南カリフォルニアのラテン系プリズンギャングのラ・エメに友好的なストリートギャングの総称。ただしマラヴィーヤのようにLAのギャングでありながらラ・エメと長らく対立してきたギャングもある。
 
 
・稼業
 ポートランドの黒人街は北東ポートランド及び東ポートランド/グレシャムが中心である。
 北東ポートランドではMLK大通りを境とし、西が最大勢力のフーヴァーズを中心としたクリップス系列、東がブラッズの縄張りとなっている。

 彼らは他の大都市のギャングのように住宅地区全体をターフとすることはまれであり、床屋や洗車場のような自営業店舗を根城にしている。また武装強盗のような華々しい重犯罪からは距離を取って、小切手詐欺や個人情報窃盗に活路を見出す傾向があるという。
 ギャングからピンプに転向するものも多く、ポートランドを売春婦とともに出発しラスベガスからカリフォルニアを回る売春巡業「ウエストコースト・サーキット」をおこなうものもいる。

 こういった裏経済の不活発な状況のためにギャング内に「裏の顔役」は存在せず、ギャングたちは互いに無軌道で散発的な争いを続ける状態であるという。
 
 
 
・歴史
 1970年代から80年代の変わり目に起こったクラック禍とクリップス/ブラッズの大拡張により、1980年代初頭のLAはギャングであふれかえり、1980年の1000件を超える殺人の多くがギャング関係であった。

 過酷な抗争に嫌気がさして、また新たなチャンスを求めてLAの外に目を向けた両ギャングは、敵も競争相手もいない手つかずのドラッグ・ターフが国中にあることに気づき、めぼしい他都市に移住し始める。

 ポートランドもそのうちの一つであり、まず1980年代中盤にフォー・トレイ・クリップスが支部を開設する。
 続いて1987年にハーマン・「ビッグ・ハーム」・ハンソンがフーヴァー・クリミナルズの一団を伴って移住し、北東ポートランドのコロンビア・ヴィラに落ち着くと、大幹線道路である州間高速5号線のルートを使ってLAから直接コカインを輸入し始める。

 これによって1986年に200件だったクラックでの逮捕件数が翌年には2200件に跳ね上がり、ポートランドの麻薬市場としての将来性を見込んだローリン・60sやウエストサイド・パイルも北東ポートランドに現れ、麻薬市場を巡って激突していった。

 その後におそらくはフレズノに由来するシックス・デュース・ダイアモンド・クリップス、地元勢力カービー・ブロック・クリップスやコロンビア・ヴィラ・クリップス、ウッドローン・パーク・ブラッズにロックド・アウト・パイル、クリップス/ブラッズ混合のアンサンク・パーク・ハスラーズなどが登場し、ポートランドのギャング・シーンは混迷を深めていった。

 最大勢力のフーヴァーズは二番手ローリン・60sと共に100名以上のメンバーを持ち続けている。
 ビッグ・ハームはジョニー・ブラウンを筆頭に地元で悪名高かったブラウン一家のものを取り込み、フーヴァーズには彼らを中心とした一派が今もなお存在するという。
 
 
 
・抗争
 1988年にクリップスのジョセフ・「レイ・レイ」・ウインストンが殺されたのを皮切りにギャング殺人が増加する。1995年に8830件の暴力事件が報告されたのを頂点に、全米の他都市同様に暴力事件そのものは減少していくが、ギャングたちはストリートのみならず獄中でも争い続けていく。

 1996年にウッドローン・パーク・ブラッズのメンバーがローリン・60sに所属するラッパーのリル・Gを銃撃し下半身まひに追い込んでいる。
 1999年にはカービー・ブロック・クリップスのメンバーが獄中で殺害されている

 2002年10月にフーヴァーズとローリン・60sはケージャンスタイル、すなわちどちらか一方の犬が死ぬまで戦わせるルールでの闘犬を行うが、負けたフーヴァーズは不正を疑いローリン・60sのドミンゴ・ゴンザレスを殺害する。
 これを機に起こった抗争についてはヒストリーチャンネルのギャングランド「Everybody Killers」で語られている。

 2008年12月にカービー・ブロックのメンバーがアンサンク・パークのメンバーを殺害している。

 2014年にはウッドローン・パークとフーヴァーズの争いに巻き込まれた21歳の妊婦が死亡している。
 
 
 
・ラテン系
 オレゴン州では1990年代を通してラテン系の人口は2万人から5万人にまで膨れ上がり、その中にはカリフォルニアやメキシコのギャングも含まれていた。
 1990年代前半には9対1の割合で黒人が優勢と考えられていたが、10年後には東ポートランド中心に1500人のヒスパニックギャングが存在し、数の上では黒人を上回るようになっていた。

 1989年に18th・ストリート支部が結成されたのをはじめとして、サー・トレセ・カリファズ、18thの友好団体コンプトン・ヴァリオス・セガンドスなどの支部が次々と結成されていく。
 長らく最大勢力18thとその他のサレーニョス系ギャングが抗争していたが、2001年にカリフォルニア中部パソ・ロブルズより移住してきた「ダラー」アバルカがパソ・ロブルズ・ボーイズの支部を立ち上げると事情は変わっていく。

 2003年セガンドスのパーティに加わろうとしたアバルカが入場を断られ、報復としてセガンドスメンバーの家が荒らされると、両者は抗争に突入し、セガンドスの14歳の少年が銃殺される事態となった。
 
 
 ヒスパニックギャングには年少のものが多く、往々にして10歳から12歳の間にはギャング入りを決めている。父母の多くは日々の労働に忙殺され、また法的問題を抱える移民も多いために警察を疎んじ、警察の方でもスペイン語を話せる人材が少ないために、ギャング問題の多くが報告されないままであった。
 そのため比較的早急に対処された黒人ギャングの例とは違い、事態は悪化の一途をたどっていった。

 彼らは黒人と食い合いがちなクラックの取引は避け、マリワナや覚醒剤の取引を好んできた。またギャングには女子も多く、タギングや車上荒らしなど男子と同様の犯罪を強要されるという。
 
 
 他に目立つところでは、ラオス系のレッド・コブラ・ブラッズ(非ブラッズ系列とのこと)などがいる。

 またユージーン市では、反ギャング活動家でありながらギャングを指揮していた「ギャング・マム」メアリー・トンプソンが1994年に殺人教唆で逮捕されている。
 
 
 
「ストリートギャング」参考文献
「ポートランドのギャング問題は悪化しているのか」
ブラッズのメンバーであるグラントは刑務所で隣の監房になった男が生まれて初めて会う父親であったという
https://www.vice.com/en_us/article/jmbymd/is-portland-oregons-gang-problem-getting-worse-322
ギャング・リスト
http://projects.oregonlive.com/police/gang-list/
ギャング・リストに疑問を呈す市民
http://www.newsweek.com/gang-violence-portland-police-tear-gang-member-list-effort-rebuild-community-665374
白人至上主義者に無警戒のギャング・リスト
http://www.slate.com/articles/news_and_politics/trials_and_error/2017/06/how_the_portland_police_s_racist_gang_database_missed_white_supremacist.html
カンパネラ・パーク・パイル、ウエストサイド・パイル、BMF、GDのメンバーを麻薬密輸で逮捕
http://blog.oregonlive.com/breakingnews/2007/11/11_from_oregon_charged_in_inte.html
ギャング・マップ
http://www.therealstreetz.com/2015/11/18/map-portland-gangs/
フーヴァーズとウッドローン・パーク・ブラッズの争いに巻き込まれて妊婦が死亡
http://www.kptv.com/story/32798131/court-docs-pregnant-portland-woman-killed-by-barrage-of-bullets
2005年時点でのポートランド・ギャングの概要
http://www.wweek.com/portland/article-4817-our-gangs.html
ギャングの暴力を理解する
http://www.southeastexaminer.com/2016/01/understanding-gang-violence/
ポートランドのギャング世界:警官編
http://www.oregonlive.com/living/index.ssf/2016/08/inside_portlands_gang_world_th_1.html
ポートランドのギャング世界:看護師編
http://www.oregonlive.com/living/index.ssf/2016/08/inside_portlands_gang_world_th_2.html
ポートランドのギャング世界:葬儀場編
http://www.oregonlive.com/living/index.ssf/2016/07/inside_portlands_gang_world_th.html
ギャングの略称一覧
https://www.accuracyproject.org/GangAcronyms-US.html
グッド・ファイト
http://www.portlandmercury.com/portland/the-good-fight/Content?oid=10239700
2009年からの一連の銃撃事件のまとめ
http://www.oregonlive.com/portland/index.ssf/2009/01/police_civic_leaders_sound_ala.html
1996年にリル・Gを銃撃したアンソニー・ブラウンは2013年に殺害されている
http://pamplinmedia.com/component/content/article?id=118418
ブラウン一家について
http://www.oregonlive.com/news/oregonian/steve_duin/index.ssf/2014/09/steve_duin_the_bullets_may_be.html
カービー・ブロック・クリップスのメンバーが獄中で殺害される
http://www.streetgangs.com/news/071999-portland-gang
62・ダイアモンド・クリップスはフレズノのダイアモンド・ボーイズが62・イーストコースト・クリップスに転向したギャングだという
http://www.topix.com/forum/fresno/TD3BILUA2QEQOPSJB/the-real-about-62-diamond-and-43-villain
62・イーストコースト・クリップスへの公開書簡
http://www.nstepgangology.com/apps/blog/show/43620267-open-letter-to-62-diamonds-62-east-coast-of-fresno-and-portland
ギャング・マム
https://the-line-up.com/gang-mom-mary-thompson
ケージャンスタイル
http://www.sporting-dog.com/select-pages/cajunrules.html
“Gangland” Everybody Killers

2003年当時のヒスパニックギャングの概要
http://www.wweek.com/portland/article-3371-la-vida-loca.html
マルトノマ郡のヒスパニックギャングについての詳細なレポート
https://multco.us/file/30612/download
 
 
 
 
 
・白人至上主義者
・前史
 2017年現在でこそ先進的な気風で知られるポートランドではあるが、しかし1990年代以前は旧弊な、白人資産家支配の都市であり、加えてその属するオレゴンは伝統的に人種的な排外意識の強い州であった。

 オレゴンは1844年奴隷制を禁止するが、同時に全黒人に対して退去を求めている。
 その後も有色人種への権利付与に抵抗し、人種主義者が1887年の中国人鉱山労働者34名の虐殺、1893年の中華街焼き討ちなど数々の事件を起こしたために、1920年時点でも差別を恐れて州内の黒人人口は2000人程度にとどまっていた。

 オレゴンはまた1920年代における第2次KKKの勃興にも素早く反応し、州知事ウォルター・M・ピアースを初めとする多くの名士たちが彼らと親交を持っていた。KKK自体は1922年の時点で14000人のメンバーを持つほどだったが、20年代後半にはその勢力は急速に衰えていった。
 
 
 第2次大戦中に港湾労働者需要の増加によって黒人人口は2万を超えるが、差別的政策はその後も続き、1948年のコロンビア川の洪水では、家を失った多くの黒人が居住地区制限によりアルビナ地区に追いやられた。

 オレゴンが法の下での万民への平等な扱いを定めた合衆国憲法14条に最終的に調印したのは1973年のことであった。しかしその後も警官による黒人銃撃事件などが続き、オレゴンは人種差別の温床となり続けていった。
 
 
「オレゴンは白人のユートピアとして作られた」
https://gizmodo.com/oregon-was-founded-as-a-racist-utopia-1539567040
アルビナ地区の白人化
https://www.theatlantic.com/business/archive/2016/07/racist-history-portland/492035/
「グランド・ドラゴン」フレッド・I・ギッフォード
https://oregonhistoryproject.org/articles/biographies/fred-l-gifford/
ヘルズ・キャニオンの虐殺
https://en.wikipedia.org/wiki/Hells_Canyon_Massacre
 
 
 
・1988年の殺人
 ADL(反名誉棄損同盟)に「全米スキンヘッズの首都」と呼ばれたポートランドはまた、伝統的に右左を問わずに暴力的な政治表現を伝統とするブルーカラーの街でもあった。

 1983年にカリフォルニアにて結成されたWAR(ホワイト・アーリアン・レジスタンス)の創設者トム・メッツガーは、人種隔離政策の熱心な支持者であり、米国北西部の白人の砦としての将来を大いに見込んでいた。
 彼は1980年代に副官デーブ・マッゼーラをポートランドに派遣しその教導を受けた30名ほどの集団とともにイーストサイド・ホワイト・プライドを結成する。ESWPは有色人種のみならず同性愛者や左派をも攻撃し、急速に勢力を拡大していった。

 そのメンバーには服役中に極右宗派クリスチャン・アイデンティティーを信奉するようになった強盗ケネス・ミースクもおり、彼とその仲間2人が1988年に行ったエチオピア人学生ムルゲタ・セラウの殺害によって、ESWPは全米スキンヘッド・シーンに一躍悪名を馳せた。

 この事件で主犯のミースクは終身刑を宣告され2011年に獄死、残る2人のうちカイル・ブルースターは10年の刑に服すことになる。責任を追及されたメッツガーは1200万ドルもの賠償金を課せられて破産している。
 
 
・「スキンヘッド戦争」
 しかしこの殺人は「白人の街」としてのポートランドの悪名を高め、全米から200名ものスキンヘッズを呼び寄せることになった。

 反ファシスト活動家のシアラン・マロイによると、1990年には30万人の都市に300人のネオナチが存在し、ストリートをバットや警棒などを持ってうろつきまわる事態となった。彼らはそれのみならずライブハウスにも侵入、94年のシナゴーグへの銃撃など数々の暴力事件を引き起こし始める。

 こうした一連の動きにより、ポートランドのレイシスト・スキンヘッズ「ボーンヘッズ」はさらに勢いづいていく。
 
 
 しかし本来スキンヘッドはUKのスカ/レゲエファンから発祥した文化であり、後にフーリガンやオイ・パンクに広まった時点でナショナル・フロントなどに取り込まれたものであったために、こうした流れを快く思わず、彼ら人種主義者の力に力で対抗しようとするスキンヘッズもいた。

 それが1987年にニューヨークで結成されたSHARP(SkinHeads Against Racial Prejudice/人種偏見に反対するスキンヘッズ)である。
 おそらく1988年に作られたSHARPポートランド支部は、殺し合いにまでは至らないもののボーンヘッズと激しく敵対し、この戦いがスキンヘッド戦争と呼ばれることとなった。

 1993年にはSHARPのジョン・ベイアがミネソタのホワイトパワーバンドであるバウンド・フォー・グローリーのヴォーカルエリック・バンクスを銃撃し殺害している。バンクスは殉教者としてまつりあげられ、ベイアはこの件で第一級過失致死罪に問われて5年の刑を宣告されている。

 詳細は不明であるが、SHARPはおそらくこの時点で活動方針を巡って分裂し、強硬路線の分派ローズ・シティ・ボヴァー・ボーイズが結成されたと思われる。
 
  
 こうしてSHARPとアンチファはボーンヘッズと抗争を繰り広げ、目立つ事件としては2001年にはSHARPメンバーが働くクラブが襲撃されている。

 この時期には後述のヴォークスフロントがスカム・ウォッチと称して反ファシストの情報収集を始めており、反ファシズム活動の危険性は増していった。
 こうした事情で2007年にローズ・シティ・アンチファが結成された時には、匿名性を高めるためにバンダナと覆面で顔を覆うブラック・ブロックスタイルが採用されることとなった。

 2010年にはルーク・クアーナー(Querner)がヴォークスフロントと思われるものに銃撃され、半身まひの重体になっている。
  
   
「白人至上主義者」参考文献
トム・メッツガー
https://en.wikipedia.org/wiki/Tom_Metzger
http://www.oregonlive.com/portland/index.ssf/2011/07/notorious_portland_skinhead_ke.html
白人至上主義の歴史
http://edition.cnn.com/2017/05/31/us/portland-white-supremacy-history/index.html
ネオナチがクラブを襲撃
http://www.portlandmercury.com/news/the-nazis-are-coming-the-nazis-are-coming/Content?oid=25879
ポートランド・スキンヘッド・ウォー
http://insurgence.proboards.com/thread/185
スキンヘッド対スキンヘッド
http://content.time.com/time/magazine/article/0,9171,162183,00.html
アンチファ運動に深くかかわるバンドthe oppressedの掲示板スレッド
http://theoppressed.proboards.com/thread/254/question-portland-sharps
「レッドネック・マニフェスト」などの著書があるジム・ゴードによる、SHARPとその分派ローズ・シティ・ボヴァー・ボーイズについての反動的な批判記事
https://www.vice.com/en_us/article/4wnked/skinheads-v11n10
ローズ・シティ・アンチファ
http://rosecityantifa.org/about/
反レイシストへの銃撃はネオナチの仕業か
http://www.oregonlive.com/portland/index.ssf/2010/04/anti-racist_group_argues_shoot.html
セラウ殺害から25年
http://www.wweek.com/portland/blog-30937-the-mulugeta-seraw-murder-25-years-later.html
  
  
 
・獄中にて
 スキンヘッド戦争及び人種差別行為の結果としてネオナチ・スキンヘッズの多くが刑務所に送られるも、前述のカイル・ブルースターなどその多くが獄中で活動し続ける。
 オレゴンの囚人人口は白人が多数を占めているものの、刑務所内の人種対立によるスキンヘッズの先鋭化はやはり避けられず、様々な犯罪者のひしめき合う刑務所内では新顔の彼らは、年長の囚人より犯罪のイロハを学びより犯罪傾向を強めていく。

 この時期の1994年にはオレゴンの囚人人口は8000人に過ぎなかったが、やがてケヴィン・マニックス下院議員の厳罰化政策によって、次の10年間に14000人にまで膨れ上がっていくこととなった。

 この囚人社会の拡大を背景に、ESWPがオレゴンの地元勢力としては初のプリズンギャングとなる。
 やがてアーリアン・ブラザーフッドなど他のプリズンギャングに触発されたスキンヘッズがアーリアン・デス・スクワッド、アーリアン・ソルジャーズなどのギャングを結成し始め、試行錯誤を経たのちユーロピアン・キンドレッド、ヴォークスフロントなどより大規模な組織につながっていくことになる。
 
 
・ヴォークスフロントの誕生
 ヴォークスフロントは北東ポートランドの黒人地区で生まれ育ったランドール・クレーガーの結成した組織である。
 1974年生まれの彼は10代中盤から暴力的なボーンヘッドとして名を馳せ、ついには1992年に黒人男性を殴り飛ばし昏睡状態にしたために2年少しのオレゴン州立刑務所での暮らしを強いられることになった。

 クレーガーはそこでESWPやユース・オブ・ヒトラーに属していた囚人たちとともにヴォークスフロントを結成する。彼は出所後すぐの1994年にSHARPのパン・ネズビットへの脅迫罪で刑務所に逆戻りするも、一年足らずの服役で済んでいる。

 1995年ごろからESWPはストリートでの力を失い始め、代わりに娑婆に出たクレーガーをリーダーとするヴォークスフロントが50名ほどの戦力を持ってパンクやロカビリーのショウを荒らし始める。
 VFは黒人が住む家の庭で十字架を燃やすなどの脅迫的行為も行い、またこの時期に築いたテキサスのハマースキンズとの友好関係はその後10年以上にわたって続いた。
 
 
・新生ヴォークスフロント
 1998年にクレーガーはより高度な政治的影響力を持つ団体を目指して地下活動を指示する。
 刑務所内での内省を顧みて、敵を作るばかりの無意味な暴力を戒めたというが、これにより90年代末期には警察の捜査活動などにより退潮の一途にあった組織は息を吹き返し、2001年には再び公然と活動を再開することとなる。
 
 こうして始まった新生ヴォークスフロントはライブイベント、レコード、出版物、インターネットでのラジオショウなどを通じて「白人間の互助組織」という穏健なイメージを打ち出していく。
 
 
・全盛期
 ヴォークスフロントは自らのルーツである刑務所を忘れず、ケネス・ミースクなど服役中の白人至上主義者を人種戦争における戦争捕虜とみなし、そのサポートも欠かさずに行っていた。

 その一方でオレゴン州外のカリフォルニアやペンシルヴァニアにも支部を拡張し、その中でもアリゾナ州のヴォークスフロント・ライジングは最も有力な存在であった。
 VFはアーリアン・ネーションズやナショナル・アライアンスのような先行する現地の大組織の没落によって零れ落ちたメンバーを吸収することでさらに巨大化し、最終的にはイギリスやドイツにまで支部を持つに至っている。

 ネオナチ・スキンヘッズのグループとしてVFもホワイトパワー・シーンと関係が深く、2002年に設立されたアップタウン・レコーズやインぺリウム・レコーズから、ヘイトクライム条例にちなんで名づけられたインティミデーション・ワンIntimidation Oneやジュー・スロウターJew Slaughterなどの作品をリリースしている。
 マックス・レジストなどの有名バンドの招致も行い、2005年にはロック・アゲインスト・コミュニズムの二番煎じであろうイベントロック・アゲインスト・イスラームも開催している。
 同様の合法事業としてトゥーレ出版やROA出版も運営していた。

 彼らはまたペイガニズムの一種であるアサトル(Asatru)を受容し、オレゴン州メドフォードの土地に白人の安住の地を作る計画も持っていたという。
 
 
 こういった穏健方針はしかし、彼らの暴力性を覆い隠せるものではなかった。

 2002年には見習いメンバーがユージーン市のシナゴーグへの投石を行い、2003年にはワシントン支部長カーティス・ムンシュキ他3名がホームレスの殺害で有罪になっている。
 いずれも年少のメンバーによるこの殺人は、VFが流血沙汰を起こした者に勲章として与えるブーツ用の赤い靴ひものために起こしたものではないかと推測されている。
 こうした暴力事件に加えて、2000年代前半からVFは反レイシストの情報を取集し始め、脅迫的言辞を弄することもしばしばあったという。
 
 
 2004年にクレーガーは会長を引退し、リチャード・アーデンにその座を譲っている。彼はインティミデーション・ワンでベースを担当しており、ジュー・スロウターのメンバーでもあった。

 2008年にはハマースキンズと一触即発の状態になるが何とか本格的な抗争は回避する。
 2009年クレーガーは米軍の仕事でアフガニスタンに建設労働者として赴き、そこで2年を過ごす。VFは副会長ジャスティン・マーティンとコリー・ミラーが留守を守り、さらに勢力を拡張していった。
 
 
・消滅
 21世紀の最初の10年間に、VFは精力的に活動していたが、しかしながら白人至上主義そのものは大きく弱体化していた。
 ワールド・チャーチ・オブ・クリエイターは指導者マット・ヘールの収監によって壊滅、アーリアン・ネーションズは創設者リチャード・バトラーの死により崩壊、ナショナル・アライアンスは100名以下に減少しており、ハマースキンズの状況もよりギャング的な新世代スキンヘッズの台頭によって芳しいものではなかった。
 
 
 妻子を持ち、齢40を迎えようとしていたクレーガーもこの変化を敏感に感じ取っていた。
 2012年にウィスコンシン州のシク教寺院が襲撃され、襲撃犯こそハマースキンであったものの、そのガールフレンドがVFの正式メンバーであり、組織は警察やメディア、アンチファの注目を集めてしまう。

 2013年クレーガーは人種主義者としての引退を決意、それのみならず組織そのものの解散をも強行する。VFのたまり場にしていたバーを売り払い、同じく人種差別活動家であった妻にも活動をやめさせた。同時期にミラーも離脱し、これが致命傷となる。
 最後に残ったマーティンも「VFは幼児性愛者や社会病質者の集まりに堕した」と語り脱退する。

 こうしてVFは「創設者に見捨てられた分派」としても完全に存続の可能性を失った。
 しかしながら多くの残党が今なお白人至上主義活動に未練を持っていると考えられ、極右を観察し続けるサザン・ポヴァティ・ロウ・センター(南部貧困法律センター)は、今後も活動を続ける可能性のある12人の要注意人物をリストアップしている。
 
 
「ヴォークスフロント」参考文献
ヴォークスフロント
https://en.wikipedia.org/wiki/Volksfront
ヴォークスフロントについて最もよくまとまったADLの調査結果
https://www.adl.org/education/resources/profiles/volksfront
人種抗争が穏やかなオレゴンの刑務所
http://solitarywatch.com/2012/08/08/voices-from-solitary-what-happens-when-the-war-is-over-2/
オレゴン大学で犯罪学を教えるランディ・ブラザックの過去話と未来の展望
http://www.oregonlive.com/portland/index.ssf/2017/06/oregon_white_supremacist_exper.html
2001年のエリック・バンクスのメモリアルイベントにて
http://www.wweek.com/portland/article-596-the-flickering-torch-of-racism.html
サザン・ポヴァティ・ロウ・センターによる一連の記事
2004年の新生ヴォークスフロントとムンシュキについての記事
https://www.splcenter.org/fighting-hate/intelligence-report/2004/kurtis-monschke-and-other-racists-commit-violent-killing
「ヴォークスフロントの終わり」
VF解散に当たっての各支部の困惑が詳細に語られている
「クレーガーはアンチファの嫌がらせによってやめた」という一文があるが、この件についてのアンチファ側からの勝利宣言がないため信憑性に欠ける
VFの解散については不明瞭な点が多いが、将来VFメンバーが殺人を犯した場合に、メッツガーと同様の賠償金を課せられることをクレーガーが恐れたためであると筆者は推測する
https://www.splcenter.org/fighting-hate/intelligence-report/2013/end-volksfront
ヴォークスフロントのリーダーたち
https://www.splcenter.org/fighting-hate/intelligence-report/2013/volksfront-leadership
スキンヘッズ10人の経歴
https://www.splcenter.org/fighting-hate/intelligence-report/2006/profiles-10-racist-skinheads
ケン・ミースクのガールフレンドだった女性の後悔
https://www.splcenter.org/fighting-hate/intelligence-report/2010/lessons-and-regrets
2003年のホームレス殺人に加わったデヴィッド・ピラトスの後悔
https://www.splcenter.org/fighting-hate/intelligence-report/2014/after-killing
“Gangland” Skinhead Assault
 
 
 
・プリズンギャング
・ユーロピアン・キンドレッド
 1994年の獄中での結成から2013年の解散まで一貫して極右団体であったヴォークスフロントに対して、同じく刑務所内で人種憎悪を培いながらも本格的な政治活動へは向かわずに、白人プリズンギャングとして活動する道を選んだのがユーロピアン・キンドレッドである。
 
 
 ユーロピアン・キンドレッドは1998年にデヴィッド・P・ケネディによって結成された。

 1969年に生まれたケネディは南西ポートランドの荒れた地区に育ち、すでに中学校に上がる前に兄と継母を銃撃戦の巻き添えで失っていたという。成長した彼はやがてドラッグディーラー相手の取り立て屋として働くようになり、強盗罪でオレゴン最大の刑務所であるスネーク・リヴァー刑務所に送られる。

 そこで1998年にメキシコ系のギャングの台頭を脅威に感じた同房の囚人仲間とともにユーロピアン・キンドレッドの結成を決意、アドルフ・ヒトラーの誕生日である4月20日に合わせる形で組織を発足させた。

 2001年にはメンバーの釈放によってストリートにも進出し、現在では刑務所内に300人とストリートに100人から125人のメンバーを持つと推測されている。
 
 
 EKは麻薬密売に関わる一方でドラッグディーラーへの強盗を好んで行い、そのほかにも多くの犯罪に絡み、珍しいところでは楽器の窃盗や自転車泥棒も行っていた。また、特に刑務所内において、オーディニズムの信仰を奨励しているようである。

 EK自身はギャングではあるが、その犯罪にはヘイトクライム的要素も多く、2002年にはジョシュア・ブラウンが黒人ドラッグディーラーを刺殺している。2003年にはカール・アルサップが発達障害の黒人女性を蹴り殺し、2015年にはセブンイレブンの駐車場でラッセル・コーティアーとコリーン・ハントが黒人青年を殺害している。

 2010年にはケネディが重犯罪者に銃器を売ったとして7年の刑を宣告されている。
 
 
 長らくポートランド郊外の白人貧困地区を根城にしてきたEKだが、最近ではジェントリフィケーションによる家賃の高騰によってフッドを追われたクリップス/ブラッズのメンバーが入り込み、州間高速5号線沿いの売春利益を巡って争っているという。
 
 
 
・ブルード
 1980年代初頭から続く黒人ギャングの目を見張るほどの興隆は、黒人青少年のみならず白人たちにも影響を及ぼしたために、多くの不良少年が強力なクリップス/ブラッズにどうにかして対抗する道を探っていた。

 そしてこういった黒人ギャングに反発しつつも触発された10代の少年たち、ショウン・カトラーとアンソニー・クロ―ナス・スウィフト他2名が1986年にブルード(Brood)を結成する。

 結成当初は弱小ストリートギャングでしかなかったブルードだが、設立メンバーの逮捕と収監を機にその姿を変貌させる。
 人種社会の刑務所内で白人の賭博や麻薬利権を取り仕切り、白人の囚人たちをスカウトしていくと、さらに娑婆に出た仲間が新たな仲間を勧誘し、ストリートでもその存在感を増していく。

 2000年代のブルードは麻薬取引や盗品故買を行う他に盗難車用のチョップ・ショップも持ち、経営するカーペイントショップには拷問部屋を設置し、サイレンサー密造なども行っていた。

 最低でも娑婆に30人から50人、刑務所内には300人の戦力を持ち、そのアソシエイトには元ESWPのカイル・ブルースターもいるという。
 
  
「プリズンギャング」参考文献
ユーロピアン・キンドレッド
https://en.wikipedia.org/wiki/European_Kindred
キラー・キンドレッド
https://www.splcenter.org/fighting-hate/intelligence-report/2015/killer-kindred
EKの内側
http://portlandtribune.com/component/content/article?id=104995
ルード・アンド・クルード
https://www.splcenter.org/fighting-hate/intelligence-report/2017/rude-and-crude
以上の4記事が最もよくまとまったものである

2017年時点で活動中の極右団体一覧
https://www.splcenter.org/fighting-hate/intelligence-report/2017/active-patriot-groups-us-2016
「レイシストだからギャングに入るのではなく、ギャングに入ってからレイシストになる」
http://www.columbian.com/news/2016/oct/30/white-supremacy-bares-its-ugly-heart/
「黒人ならだれでも標的になる可能性があった」
http://www.opb.org/news/article/larnell-bruce-russell-courtier-colleen-hunt-hate-crime/
ケネディへの有罪宣告
http://www.oregonlive.com/news/index.ssf/2010/02/founding_member_of_european_ki.html
EKとブルードの他にアイリッシュ・プライド、AOB(オール・オナ・ビッチ)、FBK(ファット・ビッチ・キラーズ)などのメンバー40人が逮捕
http://www.dailymail.co.uk/news/article-2521130/Portland-white-supremacist-gang-dealing-musical-instruments-bicycles.html
ポートランドのジェントリフィケーション
http://therumpus.net/2015/11/la-boheme-portlandia/
 
 
  
・バイカーギャング
 オレゴンに本拠を置くバイカーギャングとしてはジプシー・ジョーカーズが最も有名であり、そのほかにもフリー・ソウルズやブラザー・スピードなどがいる。

・フリー・ソウルズ
 オレゴン州ユージーン市で1968年に結成され、105名程度のメンバーがいる。

・ブラザー・スピード
 アイダホ州ボイズ市で1969年に結成されたが、その後ポートランドへと本部を移す。全米で150名、オレゴンには45名程度のメンバーがいる。

・ジプシー・ジョーカーズ
 サンフランシスコで1956年に結成されたクラブであるが、1967年にヘルズ・エンジェルズとの抗争に敗れて北西部へと追いやられ、HAからオレゴンに支部を作らないとの確約を得たうえでオレゴン州リンカーン・シティに拠点を移す。
 州内には40名程度のメンバーを持つほか、オーストラリア支部がとくに有名である。

・アウトサイダーズ
 1968年に設立され、オレゴンには26名程度のメンバーがいる。
 
 
「バイカーギャング」参考文献
オレゴンのバイカーギャング
https://nwhog.wordpress.com/2008/05/08/outlaw-motorcycle-gangs-flying-colors-in-oregon/
フリー・ソウルズ
http://www.onepercenterbikers.com/free-souls-mc-motorcycle-club/
https://en.wikipedia.org/wiki/Free_Souls_Motorcycle_Club
ブラザー・スピード
http://www.onepercenterbikers.com/brother-speed-mc-motorcycle-club/
https://en.wikipedia.org/wiki/Brother_Speed
https://en.wikipedia.org/wiki/Gypsy_Joker_Motorcycle_Club
アウトサイダーズ
http://www.onepercenterbikers.com/outsiders-mc-motorcycle-club/

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