ギャング&ストリートギャング/ハワイ
 
 
 
 
 
 
 
・概要
 ・管理売春
・組織犯罪
 ・ザ・カンパニー/ハワイアン・シンジケート
  ・「ナッピー」・プラワ
  ・「会社」の瓦解
  ・マースランド検事とギャングたち
  ・ジョセフ・ファミリー
 ・東アジア系
・ストリートギャング
・プリズンギャング
 ・USO・ファミリー
 ・ラ・ファミリア
・サーフ・ギャング
 
 
 
 
 
・概要
 米国50番目の州であるハワイは140万の人口を抱えており、人口構成はアジア系37パーセント、白人23パーセント、ヒスパニック10パーセント、ハワイ・ネイティブ系6パーセントの順で多く、混血もしくはその他が24パーセントを占めている。

 1960年代後半から急速な発展を遂げ、それにともなって麻薬、賭博、売春、そしてそれを取り仕切る犯罪者たちも目に付くようになってきた。
 米本土への玄関口として、東南アジアからくるヘロイン、覚醒剤の中継地であり、またマリワナの産地としても悪名高く、麻薬利権をめぐって多くの血が流されてきた。
 
 本文はそうした抗争のあらましを簡潔に追ったものである。
 
 
・管理売春
 奴隷制撲滅のための太平洋連盟(Pacific Alliance to Stop Slavery)によると、オアフ島のみで個人宅で営業するものを除いても150の売春宿が存在し、1つの売春宿につき3人から15人の常駐売春婦が想定されている。
 このほかにもネット上で取引するものや路上売春婦が多数存在するため、毎年数千にものぼる人間が売春婦斡旋業者によって密輸されている可能性があるという。

 多くの女性は日中韓とタイの出身であり、数か月の労働を終えた後に主に米国内の他の土地へと移送されていく。加えて彼女たちは密輸業者の報復を恐れているために、NGOや法執行機関に協力したがらず、それが救出を困難にしている。
 
 
 密輸入売春婦の主な客は軍人と観光客であり、運営には三合会、やくざ、ケンピ(Kkangpae)などといった海外の組織がかかわっている。
 その一方でこういった大がかりな組織犯罪のみならず、地元のピンプも売春産業に関わり、ボーイフレンディングやギャング・レイプを武器として、未成年のことも多い標的の女性を落としていくという。
 
 
 こうした犯罪の多くは人口37万を超える州都ホノルルに集中しているが、地域研究サイトのroadsnacks.netは「ハワイ最悪の10都市」としてホノルルのほかに最も犯罪率の高いマカハ、麻薬汚染の深刻なワヒアワなどを挙げている。
 
・参考文献 
「ハワイ最悪の10都市
https://www.roadsnacks.net/these-are-the-10-worst-places-to-live-in-hawaii/
ハワイの人種別人口
http://www.pewresearch.org/fact-tank/2015/04/06/native-hawaiian-population/
ハワイの管理売春
http://www.aljazeera.com/indepth/features/2016/01/paradise-lost-sex-trafficking-hawaii-160120111423579.html
 
 
 
 
・組織犯罪
・ザ・カンパニー/ハワイアン・シンジケート
 第二次世界大戦後のハワイ暗黒街は、中国系、韓国・朝鮮系、日系、サモア系の群小ギャングが賭博や闘鶏の利権をめぐってひしめきあう状態であった。
 1962年韓国系のジョージ・チャンがその残忍さと外交の才によって彼らをまとめ上げ、1967年に射殺されるまでボスとして君臨した。

 その後は後継者争いで15人ほどの死者が出る事態となったが、サモア系のアレマ・レオタが一時的に指揮を執る。

 レオタはサモアからの移民第二世代として生まれ、二次大戦中はパラシュート降下兵として活躍した猛者であった。後の1978年には州知事にまで立候補したが2000票程度の獲得に終わり、15万票獲得した民主党のジョージ・アリヨシに敗れている。
 
 
・「ナッピー」・プラワ
 しかしレオタの支配は一時的なものであり、すぐに副官であったハワイ・ネイティブ系のウィルフォード・「ナッピー」・プラワがボスとなり、組織は便宜的にザ・カンパニーと呼ばれ始める。

 プラワはルーズヴェルト高校時代からの友人でもある用心棒ロイ・ライダー、賭博師アルヴィン・ジョージ・カオフ、マリワナ密輸業者アール・キムや日系のウォレス・フルカワなどを部下としてハワイ暗黒街を支配していた。

 しかしその地位は必ずしも安泰ではなく、1970年にフルカワが運転手を務めていたリンカーンが警告としてダイナマイトで爆破されている。
 
 
 
・「会社」の瓦解
 1975年プラワが脱税でワシントン州のマクネイル島刑務所に送られると組織は崩壊し始める。

 前述の賭博師アルヴィン・カオフのほかに、ワイアナエ海岸を仕切っていたジョセフ・ファミリー、病的な性格の殺し屋ロナルド・カイナル・チン、ホノルルとヒロ市での賭博に特化していたヘンリー・フイフイ、そして腐敗警官ラリー・メハウなどが組織全体の繁栄を考えずに各々の利益を追求して行くようになった。
 
 
 中でもプラワ逮捕後にのし上がってきたフイフイとカオフが最も激しく対立した。

 1977年カオフはフイフイの部下ベニー・マダンバの撲殺を指示し、3年後有罪となり服役するも、司法当局の不可解な判断によって1984年に仮釈放されている。

 一方フイフイは自らの保護するカジノ・ジャンケット(世話人)を殺した2人を殺し返しており、ロイ・ライダーの転向証言によって1978年に有罪となっている。
  
  
  
・マースランド検事とギャングたち
 1981年に選挙で選ばれたチャールズ・マースランド検事の厳しい追及によってザ・カンパニーはさらに崩壊の速度を速めていく。
 ハワイ最初の公選検察官である彼は、ハワイ生まれの非ハワイ系「カマアイナ」の三世として地元の事情に精通しており、彼自身の息子が1975年に何者かに殺害されていたこともあって、組織犯罪の追及にひときわ熱意を燃やしていた。
 
 
 1984年まずチンが陥落する。

 すでに武器所持と麻薬所持で有罪になり21年の刑期を服役していたチンには、新たに1978年に政府側の証人アーサー・ベーカーを殺害した容疑、そして管理売春と麻薬密輸も加わり、有罪となった場合にはさらなる長期刑が予測されていた。

 生涯を刑務所で過ごすことを嫌い、司法取引に一縷の望みをかけたチンは証人へと転向し、ついに今までの殺人すべてについて自白する。
 
 
 チンは16の時に初めて人を殺し「筋金を入れた(made his bones)」という。

 1970年に州議会の上院議員ラリー・クリヤマをその車庫で銃殺したこと、1980年に暗黒街の大物でありながら証人に転向したロバート・フクモトをライフルでハチの巣にして殺したこと、やはり証人となったベーカーをマイリ・ビーチに生き埋めにして殺したこと……。
 チンは合計20件の殺人を自白した。
 
 
 そして検事の息子チャールズ・「チャッカーズ」・マースランドを殺したのも彼であった。

 当時わずか19歳だったチャッカーズは、チャミネード大学に通いながらワイキキのインフィニティ・ディスコでアシスタント・マネージャーとして働いていたのだが、そこでギャングたちにとって聞かれてはまずい何かを耳にし、あるいは耳にしたとチンに信じられ、それを理由に殺害されていた。
  
 司法取引による減刑はかなわず、チンは有罪となった上記4つの殺人すべてに対して終身刑を宣告されている。
 
  
 その後1984年にフイフイが政府側の証人に転向し仲間を売り、さらに賭博師のデヴィッド・リヴェイラと労働運動指導者ジョセフ・リイの殺害を自白する。前者は自分の金を盗んだと疑ったために、後者は組合内での利権争いが原因で殺したという。
 この司法取引によりフイフイは、最大で360年求刑されるところだったのを26年に減刑された。
  
 一方で悪徳警官ラリー・メハウは、ゴッドファーザーとあだ名されるほどの存在だったが、州知事ジョージ・アリヨシ他様々な名士と親しく、捜査作戦「ファイアーバード」を何とかかいくぐり、法の裁きを逃れている。
 
 
 
・ジョセフ・ファミリー
 こうして最後に残ったジョセフ・ファミリーは、テランス、ジェフリーのジョセフ兄弟とその義兄弟チャールズ・スティーブンスを中心とする組織であり、1980年代後半から1990年代前半にかけて最も有力なギャングであった。
 1970年代後半から20年間はワイアナエ海岸の麻薬取引を支配し主に「アイス」、ヘロイン、そしてマリワナを密輸していたという。
 
 
 スティーブンスは1978年のドラッグディーラー2人に対する殺人で1981年に裁判にかけられている。
 被害者のうちの一人はまだ若い女であったが、彼は許しを請う女を撃ち殺し、その死体を部下とともにバラバラにして捨てたという。
  
 死体遺棄に使った部下の証言もあり、有罪はほぼ確実と思われた。

 しかし彼の兄弟リチャードがハロルド・シンタク判事にわいろを贈っており、さらに判事の賭博での借金を握っていたため、この裁判では証拠不十分とされ無罪を宣告される。
 判事はその後賭博で有罪となり、ラスべガスのホテルで謎の不審死を遂げている。
 
 
 1993年連邦裁判所はスティーブンスに麻薬がらみで仮釈放なしの20年の刑を宣告する。

 その後スティーブンスは1999年56歳の時にペンシルヴァニア州の刑務所で心停止にて死去し、同年スティーブンスの部下ウォレス・「ディド」・ロドリゲスが殺人その他で計150年の刑を宣告されている。
  
 2004年1月にはスティーブンスの甥ロドニー・ジョセフとハナイ(義理の子供)であるイーサン・「マル」・モッタが違法カジノのドアマン2人を敵対ギャングに乗り換えたとしてゴルフ場の駐車場で射殺する。
 証人によると、他グループに自分たちの縄張りに近づかないようにとの警告の意味があったという。
  
  
 2005年にチンがC型肝炎で死去する。
 病床にありながらも出獄の望みは捨てていなかったようで、死の直前にカーリスル検事に情報提供と引き換えの減刑を申し出ていたが、にべなく拒否されている。
 「あんたにはゆるせないことがあるみたいだな」と検事との別れ際に言ったという。
  
 2007年にはマースランド検事が84歳で死去している。
  
 2015年にはヘンリー・フイフイががんにより77歳で死去している。
 政府側の証人に転向した彼は、26年の刑期を務め終わった後はニューヨークに住んでいたが、がんの発病をきっかけに娘の勧めで故郷に戻り、30人を超える子や孫に囲まれて余生を過ごしたという。
 
 
「組織犯罪」参考文献
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Company_(Hawaiian_organized_crime)
https://en.wikipedia.org/wiki/Alema_Leota
ロドニー・ジョセフ逮捕に当たってジョセフ・ファミリーの過去を解説した記事
http://archives.starbulletin.com/2004/02/09/news/story2.html
イアン・リンド氏による組織犯罪がらみの殺人被害者リスト
http://www.ilind.net/2015/07/07/a-stark-listing-of-hawaii-organized-crime-killings-in-the-1960s-and-1970s/
「ハワイで最も危険な男」ウォレス・ロドリゲス
http://archives.starbulletin.com/1999/11/23/news/story9.html
アルヴィン・ジョージ・カオフ
http://gaming.nv.gov/index.aspx?page=191
フイフイ転向
http://www.nytimes.com/1984/07/24/us/hawaii-criminal-s-pledge-to-talk-seen-as-door-to-underworld.html?mcubz=1
チンの死亡を伝える記事
http://the.honoluluadvertiser.com/article/2005/Sep/18/ln/FP509180351.html
ラリー・メハウの追悼記事
http://www.hawaiinewsnow.com/story/30822129/big-island-businessman-larry-mehau-dies
マースランド検事の追悼記事
http://archives.starbulletin.com/2007/04/13/news/story02.html
マースランド検事についてはJason RyanがHell-Bent: One Man’s Crusade to Crush the Hawaiian Mobを著している。そこからチンについての抜粋
http://www.honolulumagazine.com/Honolulu-Magazine/January-2015/An-Excerpt-from-Hell-Bent-Ronnie-Ching-Hawaiis-Most-Notorious-Hit-Man/
イーサン・「マル」・モッタ
http://the.honoluluadvertiser.com/article/2009/Mar/11/ln/hawaii903110399.html
ヘンリー・フイフイの死
http://www.hawaiifreepress.com/ArticlesDailyNews/tabid/65/ID/14590/February-8-2015-News-Read.aspx
 
 
 
・東アジア系
・ヤクザ
 住吉連合タカハシ組(浅草高橋組?)のワタル・「ジャクソン」・イナダは1972年にハワイに居を構え、後に1984年からLAファミリーのボスを務める大物マフィアピーター・ミラノとヘロイン取引を行い始める。
 イナダは1976年覆面捜査官に麻薬を売ってしまい、減刑を求めて麻薬の仕入れ先について証言しようとするが、おそらくは証言を恐れた地元のギャングによりガールフレンドと一緒に殺害されている。

 そのほかにも、ケンピと言っていいのかどうかはわからないが、韓国系の「ペイ・ポー」・キムが賭場を開いていたようである。
 
 
「アジア系」参考文献
イン・ソン・「ペイ・ポー」・キム
http://archives.starbulletin.com/2004/02/08/news/story3.html
ヤクザによる悪名高い10の犯罪
https://listverse.com/2015/08/28/10-notorious-crimes-committed-by-the-yakuza/
イナダについてはデヴィッド・カプラン、アレック・デュブロ共著「ヤクザ ニッポン的犯罪地下帝国と右翼」にも記述あり
「ハワイのヤクザ」事件記者ジェームズ・ドゥーリー氏がタカギ・タケシを回想している
http://www.honolulumagazine.com/Honolulu-Magazine/August-2015/Exclusive-Preview-Sunny-Skies-Shady-Characters-Cops-Killers-and-Corruption-in-the-Aloha-State/index.php?cparticle=2
 
 
 
・ストリートギャング
 2002年の司法省のレポートでは140団体に1500名、2010年の警察発表では129団体に500名のメンバーがいると推定している。

 1960年代後半からの観光客の増加が、彼らをハオリ(よそ者)とみる若者たちのギャング結成を促した。
 1970年代中盤のカリヒ市の人種混合ギャングキングスメン、1980年代からのエワ・ビーチ・ボーイズ、2000年代のヤング・テリブル・キッズやベトナム系のブラック・クルーなどがハワイ独自のギャングの一例として挙げられる。

 その後1980年代よりLAからクリップス/ブラッズの一大潮流が押し寄せると、ハワイでもおそらくは地元小規模クルーの非正規転向と思われるハラワ・ハイツ・クリップス、KAM・IV・パイルなどが結成されていく。
 大半を占めるであろう彼らの他にサンズ・オブ・サモア(クリップス)、トンガン・クリップ・ギャングなどのLAに直接人脈を持つ組織の支部も結成されている。
 こういったおそらく「本部」に直接人脈を持つ組織としては、過去にNYのボーン・トゥ・キル、コリアン・プライドなども活動していたようである。

 特に貧困にあえぐフィリピン系やサモア系青少年がギャングに加わることが多いという。
 
 
 こういったストリートギャングは民族と世代によって細分化されており、たとえば中華系や日系、ベトナム系はそれぞれの故地の犯罪組織に影響を受けているが、カンボジア系などはよりアメリカナイズされた服装や音楽を好むという。
 
 
 その他ラテン系では、LA・ハワイアン・ガーデンズ出身の日系人ラ・エメメンバー、「ジャップ」・マイク・クドーがメス取引を行っていたという。また18th・ストリートの9名が2005年から続く全米的な捜査作戦「オペレーション・コミュニティ・シールド」によって逮捕されており、もう一方のLAの雄MS-13も2006年に麻薬取引で2名が逮捕されている。

 またギャングに関係のある軍人からなるストリート・ミリタリーが20人から30人程度で活動している。

「ストリートギャング」参考文献
187ページにも及ぶ長大なギャング・レポート
http://humanservices.hawaii.gov/wp-content/uploads/2013/01/OYS-Youth-Gang-Report.pdf
ハワイのストリートギャングの歴史
http://punahou-gangs.blogspot.jp/2007/11/local-history.html
https://www.accuracyproject.org/GangAcronyms-US.html
2002年のハワイ麻薬汚染についての司法省のレポート
https://www.justice.gov/archive/ndic/pubs07/998/overview.htm
「LAのギャングとハワイのギャングは何もかもが同じだ」
http://www.hawaiinewsnow.com/story/14694941/special-report-youth-gangs-in-hawaii
米本土のギャングがハワイに進出
http://www.hawaiinewsnow.com/story/4649769/mainland-gangs-making-their-way-to-hawaii
サンフランシスコのダウン・ビロウ・ギャングの関係者が逮捕
http://www.hawaiireporter.com/mainland-gang-member-indicted-in-isle-drug-case
ストリート・ミリタリー
http://www.ilind.net/2009/03/18/wednesdayarmy-reports-describe-gang-related-incidents-at-schofield-barracks/
MS-13その他の逮捕記事
http://archives.starbulletin.com/2006/03/18/news/story08.html
リトル・ピノイズ・バッドボーイズ・イロケーノがホノルル市長を訪問
http://archives.starbulletin.com/96/07/12/news/story2.html
マイク・クドー
http://www.policemag.com/blog/gangs/story/2008/03/gangs-on-ice.aspx
 
 
 
・プリズンギャング
 ハワイには1980年代からプリズンギャングが組織されていたが、いずれも長期間持たずに崩壊している。
 2013年時点で6000人いる囚人人口を背景に、下記の2ギャングはストリートにも勢力を持っている。

・USO・ファミリー
 サモア語で「兄弟」を意味し、またユナイテッド・サモアン・オーガナイゼーションを当てて略した名でもあるUSOを持つこの組織は、OG・ワン・ドロップによると1985年にサン・クエンティン刑務所で囚人たちが自衛のために始めた。
 当初はサモア人のみの小さなグループだったが、1990年代にハワイが刑務所不足のために米本土の刑務所に囚人を移送し始めると、それに乗じて勢力を拡大するために他民族も受け入れるようになった。

 1998年にはハワイ・オアフ島にまで逆輸入のような形で進出した。ハワイの500人と本土の300人を合わせて800人、もしくは最低でも1000人のメンバーを持つと推定されている。
 
 
・ラ・ファミリア
 一方ラ・ファミリアはカリヒのナスティー・ボーイズの元リーダーが1990年代後半にオアフ島のハラワ刑務所にて結成した組織である。
 アイランダー中心に100名程度のメンバーが存在し、USO・ファミリーとハワイの刑務所内での覇権をめぐって抗争しており、2009年にはアリゾナのサグアロ刑務所でUSO・ファミリーにメンバーが襲撃されている。
 
 
「プリズンギャング」参考文献
USO・ファミリー
http://www.huffingtonpost.com/2013/09/25/uso-family-prison-gang_n_3992398.html
「彼らは被害者から加害者になった」
http://www.staradvertiser.com/2014/09/24/breaking-news/prosecutor-hawaii-prison-gang-kings-of-castle/
OG・ワン・ドロップの話
http://www.criminaljusticesolutionsllc.com/pacific-islanders.html
ラ・ファミリアのメンバーに6年が宣告
http://www.hawaiinewsnow.com/story/31244035/la-familia-gang-member-sentenced-to-over-6-years-in-jail
USOとラ・ファミリアが抗争
https://www.prisonlegalnews.org/news/2014/apr/15/placing-rival-gang-members-in-same-cell-not-per-se-unconstitutional/
 
 
 
・サーフ・ギャング
 純粋な犯罪者グループではないが、ハワイは世界で最もサーフ・ギャングの活動が盛んな地域の一つである。

 エディー・ロスマンが1975年にオアフ島ノース・ショアで結成したフイ・オ・ヘエ・ナル(別名をダ・フイ、ブラック・ショーツとも)、は「ウェーブ・ライダーズのクラブ」を意味しており、めったにない「良い波」をよそ者やオーストラリア人や南アフリカ人などの一見の観光客から守るために活動していた。

 こうして不届きものにサーファーの不文律を実力で守らせた彼らは多くの後続に多大な影響を与えたという。

 他にはカラ・アレクサンダーが2001年に結成したウルフパックなどがある。

「サーフ・ギャング」参考文献
https://www.surfertoday.com/surfing/9554-the-most-feared-surf-gangs-in-the-world
http://indosurflife.com/2012/07/the-worlds-notorious-surf-gangs/

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