ストリートギャング/デトロイト略史
 
 
 
 
 
・始めに
・1970年代
 ・麻薬王ヘンリー・マーゼット
 ・エディー・ジャクソン
 ・ブラック・キラーズとエロール・フリンズ
・1980年代
 ・マーダー・ロウ
 ・ヤング・ボーイズ・インク
 ・その他
 ・デメトリアス・ホロウェイ
  ・ベスト・フレンズとの抗争
  ・抗争の終焉
・1990年代~
 ・ブラック・マフィア・ファミリー
・カルデアン・マフィア
 ・カラショ=アクラウィ・シンジケート
 ・崩壊
・ストリートギャング
・参考文献
  
  
  
  
 
  
・始めに
 2017年現在デトロイトは、米国の大都市中最も黒人人口の割合が多い都市である。
 1970年には83万人であった白人は2010年には7万人しか残っておらず、一方黒人は1980年代には人口の半数を突破し、2010年代には市の人口のうち80パーセントを超える59万人を黒人が占めている。

 デトロイトではこうした人種構成を背景に、多くの黒人ギャングたちが暗躍してきた。過去40年の間ギャングがらみの殺人事件は常に数百件にのぼり、その被害者の多くが黒人である。
 
 
 20世紀後半のデトロイトはただ黒人音楽ならず、また黒人組織犯罪においても最重要地区の一つであったが、日本ではその歴史については簡単な知識すら共有されているとは言えない。
 そこでデトロイト黒人暗黒街の簡単な通史を書き、マセラティ・リック、ヤング・ボーイズ・インクなどの21世紀になってもたびたび語られる大物ギャングたちを線で結んで何とか形にしよう、というのが本文の趣旨である。

 白人のバイカーギャングおよびデトロイト・パートナーシップについては書かなかったが、キリスト教徒系アラブ人のカルデアン・マフィアについては少し書いた。
  
  
 裏社会とショウビジネスは常に近い関係にあり、ましてラップはギャングの名詞や隠語を知らないと歌詞のかなりの部分を理解できないジャンルである。(余談だが、麻薬一辺倒になりがちな黒人ギャングにとっては、どの程度金になるかは別として、ヒップホップという一種の「しのぎ」の発明は革新的なことである)。

 一般のギャングウォッチャーのみならず、これからデトロイト・ヒップホップを聞きこもうという人に対しても、本文はきっと役に立つと思う。
 
 
 
 
 
・1970年代
・ヘンリー・マーゼット
 黒人最初のゴッドファーザーと言われる「ブレーズ」ヘンリー・マーゼットは朝鮮戦争に従軍した後、麻薬取り締まりの潜入捜査官になったが、次第に一線を越えていき、1956年ごろには自らが麻薬取引の世界に踏み込んでいった。
 デトロイトは禁酒法の時代から全米的な密輸拠点の一つであり、マーゼットもヘロインをマフィアのジミー・クアザラーノやパープルギャングの残党サミー「ザ・マスタッシュ」ノーバーなどの白人勢力から買っていた。

 1970年の中頃、マーゼットは市内の30余りのドラッグディーラーを、ナンバーズ賭博で財を成したエド・ウインゲートの所有するトウェンティ・グランド・モーテルに招集し、その中でも「ウェストサイド・セブン」と呼ばれる者たちに、麻薬流通網のさらに上のレベルまでのぼりつめることを目標にマフィアからの保護を保証した。

 しかし出席者の一人、その凶暴さで知られたヌアル・スティールはこれに従わず、「誰の命令も受けない」と公言する。

 スティールは会議において不服があった者たちとともに、対マーゼット同盟を結成し、さらには会議の内容をマフィアと白人密輸業者の集まりである「イーストサイド12」に密告し助力を頼んだ。
 マフィアは麻薬利権が奪われるのを見過ごすことができずスティールに協力し、両者の抗争で1970年から1971年の間に50人以上の死体が出たという。

 スティールは会議より7週間後殺害される。
 1972年マーゼットも腎不全により死去し、デトロイトの黒人裏社会は残された者たちが跡目を争いあう群雄割拠の戦国時代に突入した。
 
 
・エディー・ジャクソン
 マーゼット死後のデトロイトを取り仕切った「ファットマン」エディー・ジャクソンは、アーカンソーから移り住んだ小実業家の息子として1944年にパラダイス・ヴァレー地区で生まれた。
 幼いころに母をなくし、子供に無関心な父親に育てられた彼は12になると父の経営するビリヤード場で遊び始めるようになり、後のドラッグディーラーへの下地を作っていく。

 1969年独自のヘロインコネクションを持ちマーゼットの副官でもあった「ジェントルマン・ジョン」・クラクストン(クラッセン?)に出会った頃から運が上向き、運転手から瞬く間にデトロイト有数の密売業者になり、6900ドルもするキャデラックなどを乗り回すようになっていく。

 1970年代に入りクラクストンが逮捕されると、ジャクソンはニューヨークへと行き、ブロンクスのガンビーノ一家やフランク・ルーカスと会見し、新たな密輸ルートを開拓していった。
 そうして手に入れた麻薬をデトロイトでは幼馴染のコートニー・ブラウンを部下として密売に励み、モータウンのミュージシャンにも売っていたという。

 1971年から麻薬戦争が激化、2年で200人の死者が出たと言われるが、ジャクソンは抗争を極力避ける方針を取った。

 しかしDEAによる捜査と逮捕は避けられず、その後ジャクソンは1976年に30年、ブラウンは21年の懲役刑を宣告される。
 2人は1984年に仮釈放されるが、デトロイトの麻薬業界は様変わりしており、彼らは2度とかつての栄光を取り戻すことはなかった。

 ジャクソンは1995年に獄中にて死去している。

 2011年にはドキュメンタリー「Motown Mafia」が製作されている。
 
 
 
 
・ブラック・キラーズとエロール・フリンズ
 1970年代より黒人裏社会では、新興勢力であるLAのブラッズ/クリップス、シカゴのブラック・P・ストーンズなどのストリートギャングが存在感を増していた。

 この潮流に乗り、デトロイトにおいてもウエストサイドのエロール・フリンズ、イーストサイドのブラック・キラーズなどのストリートギャングが麻薬取引で台頭し始めるが、77年にコボ・ホールでの暴動で市民の怒りを買い、クラックの流行によってヘロインの利幅が減るなどした結果衰退し、新興勢力の勃興に押されて消えていった。
 この時期にターフに重きを置く旧来のギャングバンギングもまた消えていき、新興の麻薬組織は面子や他者の縄張りを軽視して過激な抗争に突入していくようになったという。

 組織としては短命であったが、二大ギャングは後続に強烈な影響を残した。
 エロール・フリンズの元メンバーにはグレッグ・マシス判事がいる。
 
 
 
 
 
・1980年代
・マーダー・ロウ
 二大ギャングの後を継いだ一つは「ビッグ・フランク・ニッティ」ことフランシス・アッシャーとハロルド・モートン率いるマーダー・ロウであった。
 ウエストサイドに顔が利くモートンがLAとNYにコネクションを持つのに対して、イーストサイド育ちのアッシャーは少年期からマフィア組織デトロイト・パートナーシップの重鎮ジャカローネ兄弟と親しく、禁酒法時代のカポネの部下にあやかったそのあだ名はアンソニー・ジャカローネからつけられたものだという。

 マーダー・ロウはまた、用心棒として殺し屋チェスター・ウィーラー・キャンベルを雇っていた。
 1918年あるいは1931年生まれのキャンベルは、生涯において50人から100人以上の人間を殺害したと言われ「死の天使」と呼ばれたほどの人物だったが、数年後に収監されてしまう。
(キャンベルについては伝記「Diary of a Motor City Hit Man」が出版されている)。

 デトロイト暗黒街の暴力の度合いが増していく中で、マーダー・ロウは代わりにモートンの友人アドルフ・パウエルを雇いなおす。時期は不明だが、後述のクリフ・ジョーンズも部下にしている。
 
 
 1977年にモートンが麻薬密輸により逮捕されると、マーダー・ロウはモートンのいない間に分裂し、アッシャー派とパウエル派に分かれて抗争し始める。

 アッシャーは抗争において3人を殺害し頭部を切断するなどの残虐行為に及んだがあえなく逮捕され、釈放後の1994年にインディアナポリスに移っている。

 モートンは1980年に自身の麻薬密輸に対する証人殺害によって有罪を受け終身刑を宣告され、30年以上の刑期を務めた後の2010年に仮釈放されている。

 デトロイト黒人ギャング史において、アッシャーは麻薬の供給をイタリアン・マフィアに頼った最後の大物であったという。
 
 
 
・ヤング・ボーイズ・インク
 過渡期のデトロイトでのもう一つの巨大勢力は、ヤング・ボーイズ・インク(YBI)である。

 1976年に「ブッチ」ミルトン・ジョーンズ、「ベイビー・レイ」デヴィッド・ピープルズ、「ワンダフル・ウェイン」デウェイン・デーヴィスによって結成されたYBIは、未成年者を使うことで警察の処罰を軽く済ませることに成功し、一時は市内のヘロインとコカイン取引の40パーセントを支配していたという。

 マーダー・ロウと違って、彼らはマーゼットの遺志を継ぎ東南アジアの黄金の三角地帯の業者と直接取引し、より国内レベルの密輸業者から独立した存在であった。

 YBIはブッチによるウェインの殺害からの1982年の摘発により弱体化、その後は獄中のブッチが妻のポーシャに指令を送る形で存続したが、やはり1985年に摘発され、今回は完全に壊滅した。
 
 
 
・その他
 10年にも満たない短命の存在ではあったが、YBIの成功は多くの追随者を産んだ。

・ポニー・ダウン・クルー
 北西部にてバトロム兄弟が設立し、300人の部下と年に一億ドルの売り上げがあったという。1986年にトップの逮捕により壊滅する。
 
 
・カリー・ボーイズ
 ブラック・キラーズの「リトルマン」ことジョニーと、ビッグマンことレオのカリー兄弟を中心とするクルーである。
 1976年より10年ほど活躍した彼らは84年から87年の3年間で2億ドルを売り上げたとも推測されている。

 メディアへの露出を慎重に避ける一方で、弟ジョニーが74年から94年まで市長を務めたコールマン・ヤングの姪キャシー・ヴォルサンと結婚するなどして政界とのつながりも持った。
 
 
・ホワイトボーイ・リック
 本名リチャード・ワーシュは14歳の時に警察への情報提供者としてキャリアをはじめ、彼らと手を切った後にその白人社会との人脈をジョニー・カリーに見込まれた。
 彼はゲットーでは完全に黒人のようにふるまい、「フリーキー・スティーブ」ことスティーブ・ラッセルを片腕とし、弱冠17歳にしてデトロイト有数の麻薬王であったと言われる。
 現在は終身刑を宣告され服役中である。
 
 
・デーヴィス・ファミリー・ギャング(DFG)
 1970年代中盤にレジー・デーヴィスによって結成され、一時はマイアミやLAなどの米国内の都市のみならずタイ、ジャマイカ、ハイチなどにもコネクションを持っていた。
 レジーは1983年に逮捕状が出た後逃亡し、3年後ミシガン州内のアン・アーバー市のホテルで捕縛されている。
 
 
 
・デメトリアス・ホロウェイとベスト・フレンズ
 こういった群雄の中でも最大の大物がデメトリアス・ホロウェイである。

 ボクサーのトーマス・ハーンズの幼馴染でもあった彼は1980年から盗品を運んだ罪で5年間服役した後に、同じく幼馴染だった「マセラティ・リック」ことリチャード・カーターを仲間に引き込み、ドラッグディーラーとして活動し始める。

 チャンバース・ブラザーズを主な顧客として、コカインは最初のうちこそアート・デリックとドク・カリーから買っていたものの、すぐに彼らを飛び越しバハマのコロンビア人から直接買い付けるようになっていく。
 また靴屋チェーンや不動産も多く所有してマネーロンダリングも迅速に行っていた。
 
 
・ベスト・フレンズ
 ホロウェイは右腕マセラティ・リックだけでは不十分と感じ、まずクリフ・ジョーンズや「ビッグ・エド」ハンザードを部下とした。
 しかしやがて彼は麻薬事業を拡大するうちにさらなる戦力を求め、80年代中盤にイーストサイドで結成され、残酷な殺し屋集団を超える殺人狂としての評判を確立していたベスト・フレンズを雇い入れる。

 テランス「ブーガルー」、レジナルド「ロッキン・レジ―」、グレゴリー「ゴースト」、そしてエズラ「ウィザード」の4人からなるブラウン兄弟はいずれも身長180センチ台中盤、体重100キロ超の巨漢ぞろいであり、彼らのギャングであるベスト・フレンズは、2017年現在に至るまでデトロイトで最も危険だったギャングとして知られている。

 当初こそホロウェイに従っていたものの、しかし自信とコネクションを得た彼らはやはりホロウェイを飛び越して国外の供給者と直接取引を行うにいたり、凄惨な内部抗争が始まった。
 1986年ブラウン兄弟のグレゴリーとエズラが同じ週のうちに相次いで殺害され、次の5年で100人近い死者が出たという。
  
  
・抗争の終焉
 ハンザードはホロウェイ及びカーターの旧友であったが、2人が期待したような忠誠心は持っていなかった。

 彼はベスト・フレンズとの抗争の最中にLAの麻薬王「フリーウェイ」リック・ロスと密かにコネクションを築き、2人の顧客を奪い始める。
 さらにカーターから麻薬がらみでしていた10万ドルの借金を踏み倒そうとし、両者の関係は劇的に悪化していく。
 
 
 1988年ハンザードはカーターに銃撃され、一時的にルイジアナ州へと逃れる。

 そこで復讐計画を練っていたハンザードは、デトロイトへ戻ると1988年9月カーターを銃撃し、この時は仕留め損ねる。
 しかし二日後殺し屋ロドリック・パーカーが医師に変装して病院を襲撃、カーターの頭を拳銃で撃ち抜き、その29年の生涯に終止符を打った。

 「マセラティ・リック」カーターの葬儀は兄のクライドが取り仕切り、彼は25000ドルするメルセデス・ベンツ型の棺桶に葬られた。
 
 
 パーカーはこの殺人では無罪となったが、2年後にはトーマス・タイとの抗争での殺人により逮捕されて終身刑を宣告されている。
 ハンザードもまた武器所持や宣誓釈放違反で収監され、服役中に5500万ドルもの金額が絡んだ麻薬密売事件で重ねて40年の刑を受けている。
  
 1990年にクライド・カーターとその恋人がまだ幼い我が子の前で殺害され、3週間後にホロウェイもデトロイト市警本部より二ブロック離れた服屋で銃殺される。
 実行犯の二人は元マーダー・ロウでジョーンズのクルーの者だったが、麻薬中毒の彼らはベスト・フレンズとも関係しており、ジョーンズの差し金であったかどうかは不明である。
 
 
 その後ブラウン兄弟は殺人容疑の逮捕を逃れるためにデトロイトから逃亡し、兄のレジナルドは1992年に逮捕されているものの、末弟テランス・ブラウンは1993年ジョージア州のホテルの駐車場でピックアップ・トラックの荷台から射殺体で発見されている。
 殺人者は今に至るまで不明のままである。

 クリフ・ジョーンズはその後3年を娑婆で暮らし、一説では50人から75人の殺害に関与したとまで言われている。
 1994年に収監され、19年を刑務所で過ごした後再び麻薬取引の世界に戻っている。
 
 
 
・チャンバース・ブラザーズ
 ビリー・ジョー、ラリー、ウイリー、オーティスのチャンバース4兄弟からなる組織であり、一時は4200万ドルもの大金を手にしていたと推測されるが、1989年にそろって摘発され組織はあえなく崩壊した。
 彼らはまた映画「ニュー・ジャック・シティ」のモデルでもあると言われており、収監中のビリー・ジョーのインタビューが1990年のエスクワイア・マガジン1月号に掲載されている。
 
 
 
・1990年代~
・ブラック・マフィア・ファミリー(BMF)
 「ビッグ・ミーチ」ことデメトリアスとテリーのフレノリー兄弟が南西デトロイトにて1980年代後半に結成した組織である。
 兄弟は1990年代中盤に南部に活動の拠点を移し、ヤング・ジージイ(Young Jeezy)の後援をしていたことでも知られる。
 ビッグ・ミーチは2005年に逮捕されたが当局への協力を拒否し、2007年には20年の刑を宣告されている。

 このほかに南西部ではボロ・ボーイズ、キャッシュ・フロウ・パッシなどが活動してきた。
 
 
 
 
 
・カルデアン・マフィア
 1900年代初頭には存在が確認され、1960年代からイラクより大量移住してきたキリスト教徒系カルデア人は、近隣のカナダのウインザーにすでにコミュニティーがあったこと、レバノン系移民コミュニティーが存在していたこと、そして自動車産業の繁栄などの理由により、多くがデトロイトに落ち着き、一時期は12万人を越える数が居住していた。

 新興移民の常として彼らは黒人街でビジネスを始めるものが多く、その中の一部の者が麻薬取引の世界に入り込んでいった。
 
 
・カラショ=アクラウィ・シンジケート
 そうした中の一人がルイス・アクラウィである。

 1948年に生まれたアクラウィはイラク共産党に入党していたが、1968年にバアス党が政権奪取した後に党のクーデター計画の失敗により家族とともにアメリカへと亡命することとなる。
 義兄はフセインの秘密警察に捕まり拷問死を遂げたという。

 デトロイトのイラク人街「リトル・バグダッド」へと落ち着いたアクラウィはそこでレストランを開業するが、合法的な仕事の収入に満足できずに麻薬取引に手を出していき、後に息子のレイ・アクラウィ、甥のハリー・カラショも加わった。

 黒人ギャングの多くは国際的なコネクションを持たなかったが、彼らはメキシコとテキサスを経由してアメリカにコカインを持ち込んでいたメデジン・カルテルと取引し、最盛期には月に500キロのコカインをフロリダからデトロイトにまで持ち込んでいたという。

 彼はまた1970年代後半から反フセイン運動を活発に行う北米有数の活動家の一人としても知られており、イラクの暗殺計画から2度も逃れたことがあるという。
 
 
・崩壊
 1989年内紛によりカラショが銃殺される。
 カラショ=アクラウィ・シンジケートはレイが継ぎ、暗殺者を付け狙い復讐を果たそうとするが失敗し刑務所に送られてしまう。

 自らの組織が揺らいでいく中で、1993年アクラウィは自分に逆らう部下の雑貨店主をその経営する雑貨店内で殺そうとするが、2人の殺し屋が誤って客の一人を射殺してしまい、アクラウィはこの件で逮捕され20年の刑期を言い渡されている。

 これにより組織は完全に崩壊し、その後カルデア人の間から大物は2度と現れなかった。
 
 
 2017年現在カルデア人街はデトロイト都市部の荒廃によって危機に瀕しているという。

 アクラウィは20年の刑期を務めたのちに釈放されるが、イラクへの犯罪者移送に直面し、2017年7月にはアリゾナの施設で移送を待つ中でハンガーストライキを行っている。
 
 
ハンガーストライキ
http://www.freep.com/story/news/local/michigan/2017/07/13/iraqi-louis-akrawi-hunger-strike/476401001/
http://gangsterreport.com/detroits-iraqi-don-done-with-prison-stint-comes-home-to-motor-city-after-20-years/
 
 
 
 
 
・ストリートギャング
・ラテン・カウンツ 
 1988年「スカーフェイス・トニー」ことアンソニー・ウィラモンテスは、生まれたシカゴを離れヒスパニックの優勢な南西デトロイトに移住する。
 そこでバグリー・ボーイズのターフを乗っ取る形でラテン・カウンツ支部を設立し、ラテン系で最も有力な麻薬ディーラーにまで成り上がるが、2000年代中盤にハイウェイメンMCのメンバーによる証言によって有罪宣告を受け没落する。

http://gangsterreport.com/feds-finally-nailed-detroit-latino-kingpin-scarface-tony-viramontez-through-his-dealings-with-highwaymen-mc/
 
 
 
・ブラッズ
 シックス・マイルチェダ・グローブ・ブラッズなどがが活動している

・ヴァイス・ローズ
 ミシガン州のバイカーギャング界はハイウェイメンとアウトローズを2強としてきた。

 黒人系バイカー・ギャングのファントム・アウトロー・MCの総会長アントニオ・ジョンソンは同時にミシガンのヴァイス・ローズのリーダーも務めており、その地位を利用してギャングを強化し、サタン・サイドキックス、ヘルズ・ラヴァーズなどの他バイカー・ギャングと抗争してきた。
 しかし法執行機関と地域共同体の協力した「デトロイト・ワン・イニシエイティブ」によってジョンソンとその片腕マーヴィン・ニコルソンが長期刑を受け、残りの主要メンバーも多くが逮捕されている。
 
 
 
 
 
・参考文献
 デトロイトの暗黒街については、マフィアを中心に手広く取材しThe Detroit True Crime Chroniclesなどの著書があるスコット・バーンスタイン(Scott Burnstein)氏のサイトgangsterreport.comが群を抜いて詳しく、非常に参考にさせてもらった。

 実際、氏のブログのthe-detroit-drug-warsのpart1と2を読めばより詳しいことがわかるので、興味を持った方にはお勧めしたい(一部有料記事あり)。

 前述のようにデトロイトのギャングたちの概要を述べるのが主目的であるので、細かく出典をつけるようなことはしなかった。そのためおそらく書き洩らした参考文献もあると思うが、基本はネット上のものなので気になったら検索して探してほしい。

https://www.nationalbcc.org/news/beyond-the-rhetoric/1701-street-gangs-detroit-style
古参サイトjiggs2000_usのデトロイト黒人ギャングについてのページ
http://www.geocities.ws/jiggs2000_us/ethnic.html
70年代
http://gangsterreport.com/the-blueprint-marzettes-plan-ignites-war/
http://gangsterreport.com/dynamic-duo-in-the-d-eddie-courtneys-reign/
http://gangsterreport.com/the-detroit-drug-wars-part-1/
http://gangsterreport.com/seeing-red-detroit-has-street-gang-problem-feds-take-aim-at-seven-mile-bloods/
http://www.bestseedbank.com/the-rise-of-the-drug-economy-in-detroit/
http://www.gorillaconvict.com/2013/07/diary-of-a-motor-city-hit-man-the-chester-wheeler-campbell-story/
80年代
http://gangsterreport.com/the-detroit-drug-wars-part-2/
クライド・カーター
http://gangsterreport.com/detroit-underworld-icon-maserati-ricks-brother-clyde-suffered-same-fate-both-brutally-slain-2-years-apart/
ベスト・フレンズの殺し屋ネイト・クラフトへのインタビュー
http://gangsterreport.com/interview-with-the-hitman/
http://www.gorillaconvict.com/2013/09/young-boys-inc/
マ―ダ―・ロウ
http://gangsterreport.com/new-york-arrest-led-to-downfall-of-detroits-murder-row-gang/
スコット・バーンスタイン氏のインタビュー
http://www.gorillaconvict.com/2013/03/detroit-true-crime-chronicles/
http://www.gorillaconvict.com/2014/04/10-infamous-street-legends/
「ビッグ・エド」ハンザード
http://www.geocities.ws/jiggs2000_us/Hanserd.html
ブラック・マフィア・ファミリー
http://www.creativeloafing.com/news/article/13028196/bmf-coleaders-sentenced
南西デトロイト
http://gangsterreport.com/southwest-detroit-gang-banging/
カルデアン・マフィア
http://www.freep.com/story/news/columnists/john-carlisle/2015/08/01/detroit-chaldean-town-last-days/30993903/
http://www.theoaklandpress.com/general-news/20140307/chaldean-mob-war-escalated-25-years-ago
ブラッズ
http://www.clickondetroit.com/news/feds-9-members-of-detroits-6-mile-chedda-grove-gang-charged-with-racketeering-murder
バイカー
https://dondivamag.com/detroit-gang-warlord-gets-35-years-in-prison/
http://www.onepercenterbikers.com/phantom-outlaw-mc-motorcycle-club/
http://www.onepercenterbikers.com/satans-sidekick-mc-motorcycle-club/
http://gangstersinc.ning.com/profiles/blogs/detroit-gang-leader-gets-35-years-for-racketeering
ドキュメンタリー
「Motown Mafia」

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