カナダ・マフィア

・序文と概要

・ウエストエンド・ギャング
 ・歴史
・ハミルトン
 ・パパリア
 ・ムシターノ

・トロント
 ・ンドランゲタ

・モントリオール ・マフィア
 ・カラブリア人の盛衰
 ・リズート・ファミリーの台頭
  ・パオロ・ヴィオリ殺害
  ・リズートの一族
 ・リズート・ファミリーの落日
 ・「リズート戦争」
  ・主要勢力
  ・簡易年表

・終わりに
・参考文献について
 
 
  
 
 
・序文と概要

 本文はカナダ・マフィアについての簡潔なレポートであり、特にケベック州モントリオールで2000年代中盤から勃発している「リズート戦争」について多くを割いたものである。
 
 リズート戦争はマフィアのみならず、ンドランゲタ、ヘルズ・エンジェルズ、ウエスト・エンド・ギャングなど多くのプレイヤーが登場している大抗争である。一区切りつけばそのうちに「The Sixth Family」の著者さんたちあたりがまとまったものを書いてくれるだろうが、それまでは日本語で読めるものがあっても悪くないと思い、この文を書いてみることにした。

 もちろん犯罪組織は抗争のために存在しているのではない。
 個々の犯罪組織はそれぞれに歴史を持っており、それぞれの民族、稼業ごとに抱える葛藤は違う。しかしそれを説明するサイトも書籍も膨大な数があるために追いきれないので、ここではリズート戦争の説明に役立つような形で簡潔に書いていることを言っておきたい。あくまで「まとめ」である。
 
 
 シシリア人のマフィアとカラブリア人のンドランゲタはそれぞれに異なった起源をもち、特にマフィアは、故地シシリアではその土地出身者以外の加入は一般的ではない。この掟は移住先の北米では多少は緩和されたが、シシリア人優位は変わらず多くの軋轢を産んだ。
 リズート戦争はこのシシリア人とカラブリア人の半世紀を超える対立が原因となったものである。

 本文は非イタリア系白人ギャング→ンドランゲタ→マフィアの順で説明していくが、近年の抗争については「リズート戦争」のところだけ見ればある程度の概要は分かるように書いた。
 複雑な抗争だが、「終わりに」で自分なりに要点をまとめたので、長く感じる人はそこから先に読んでほしい。
 
 
 
 
 
 
 
 
・ギャング
 アイルランド、ユダヤ、フランスなどの「非イタリア系」白人犯罪者たちである。カナダ一般社会への融合によって犯罪への積極的な動機を失い、さらにはイタリア系と比べて組織力を欠くために没落し、現在では二線級の存在に甘んじている。
  
・ウエスト・エンド・ギャング
 1900年代から強盗、車両ハイジャック、誘拐などの犯罪を行い、イタリア系の勢力が興隆する1960年代からはコカインやハシシなどの麻薬取引によって勢力を維持してきたモントリオール・ウエストサイド地区のアイルランド系中心の犯罪者たちの総称である。
 現在150名程度いると推測されるこの犯罪者たちは、強固な組織構造を持たずにその都度強力な人物に従ってきたといわれ、2次大戦後もマティックス兄弟、リシャール・ブラス、アラン・ロスなど多くの傑物を輩出してきたが、そのうちのだれもマフィアに匹敵するような組織は作れなかった。
 いわばモントリオールの古豪勢力であり、リズート・ファミリーやヘルズ・エンジェルズなどの有力組織とは一種のコミッションを持っている。
 
・歴史 
 混沌の20世紀前半を経て、麻薬密輸産業成長期の1970年代に現れた最初の大物ボスはフランク・ライアンである。
 彼はアメリカでの武装強盗で1966年から6年服役した後カナダに戻り、仲間を集めて麻薬取引を成功させる。300人の手下を持ってモントリオール暗黒街に君臨していたが、銀行を信用していなかったために隠し金が多く、1984年に隠し金目当ての強盗に殺害されてしまう。
 
 跡を継いだアラン・ロスの最初に行った事は復讐であった。
 ライアン殺害から12日後、彼が雇ったHAのアイブス・トルードーとブラス兄弟の弟ミシェル・ブラスの仕掛けた爆弾によって強盗たちが殺害される。爆弾を偽装するために使われたビデオレコーダーには、1983年のドキュメンタリー「ヘルズ・エンジェルズ・フォーエヴァー」のビデオが同封されていたという。
 このときロスがトルードーに金を払うのではなく、代わりにハリファックスのHAの借金を取り立てる権利を「譲った」ことが1985年の悪名高い「レノックスヴィルの虐殺」につながったと言われている。
 反HAのロック・マシーン結成につながったこの虐殺はまた、1990年代のケベック・バイカー戦争の遠因でもある。
 
 アラン・ロスは1975年から1989年までに10トンのコカインと2000トンのハシシを密輸したと言われ、「北米5番目の麻薬取引業者」と目されるほど巨大な存在であった。警察から逃げるのがうまくウィーゼル(いたち)と呼ばれたが、1991年に逮捕されたのち終身刑を宣告され、2017年現在も服役中である。
 
 
 1980年代から1990年代にかけてのカナダのコカイン市場は、コロンビア・カルテルから送り出されたコカインが、モントリオール港湾を支配するウエスト・エンド・ギャングとリズート・ファミリーを経由し、HAのような中堅レベルの「問屋」を通してストリートレベルのディーラーたちに卸され、そしてようやく顧客のもとへ届くという構造になっていた。
 様々な例外があるが、基本的にそれぞれのグループはそのコネクションに応じて役割とリスクを分担し、平和が保たれていたのである。

 1990年代の一時期においては、ウエスト・エンド・ギャングのコカイン密輸量はリズート・ファミリーを凌駕していたとさえ言われている。
 
 
・マティックス兄弟
 モントリオールの貧民街グース・ヴィレッジで1940年に生まれたジェラルドは1980年代にモントリオール港湾の労働者組合に食い込み、1994年の告発は何とか免れるが2001年にふたたび逮捕され、12年の刑を宣告されている。
 マティックス兄弟はその他にもリチャード、ジャッキーなど14人がいる。
 
・リシャール・ブラス
 ウエスト・エンド・ギャングのために働いていた殺し屋である。数々の襲撃を生き延びた強運から9つの命を持つという意味で「猫」と呼ばれた。
 強力な力を持つマフィアを嫌っており、1960年代の抗争ではコトローニ・ファミリーの幹部フランク・コトローニを殺害しようとしたこともある。 マフィア側からの報復による数度の銃撃を生き延びるも、銀行強盗に失敗して1969年に収監される。
 1974年に脱獄すると自分に対して不利な証言をしたかつての仲間を殺害、バー「ガルガンチュア」に13人を閉じ込め焼き殺すなどの凶行を重ね、翌年隠れ家に潜んでいたところを警官隊によって射殺される。
 
 
「ウエスト・エンド・ギャング」参考文献
http://mafia.wikia.com/wiki/Richard_Blass
ガルガンチュアで殺された13人
http://coolopolis.blogspot.jp/2007/10/faces-of-gargantua-victims.html
ウエスト・エンド・ギャングの重鎮たち
http://coolopolis.blogspot.jp/2016/12/montreals-west-end-gang-all-time-power.html
 
・デュボワ兄弟
 9人のフランス系兄弟を中心とした組織で、盛時にはコトローニ・クランに匹敵する力を持つともいわれていた。1974年にはマクスウィーン・ギャングとの縄張り争いを起こし、翌年には「ヴァレンタイン・イブの虐殺」で一気に4人を殺害している。
 
2015年の兄弟の一人アドリエンの弔問記事
http://www.theglobeandmail.com/news/national/family-says-farewell-to-a-scion-of-montreals-first-family-of-crime/article22294417/
 
 
 
 
 
 
 
・オンタリオ
 
・ハミルトン
 ハミルトンは都市圏に70万の人口を抱えるトロント、オタワに次ぐオンタリオ第3の港湾都市である。
 伝統的にカラブリア人の勢力が強く、下記のパパリア、ルッピーノ、ムシターノはすべてカラブリア系であるが、トロントのカラブリア人とは違いンドランゲタの一員であるとは考えられていない。
 
・ルッピーノ
 1899年生まれであるカラブリア人ジャコモ・ルッピーノは、南オンタリオでバッファロー・ファミリーのボスであるステファノ・マガディーノの代理人をやっていた。
 パオロ・ヴィオリの義父でもあり、彼が殺害された際にはその息子たちを引き取っている。
 生前はイタリア系の重鎮として南オンタリオの裏社会をまとめていたが、没するころにはロシア人、コロンビア人などの未知の新勢力が現れ始め、イタリア系も時代の波に押されて余儀なく変化していった。
 生涯で一度の起訴すらされることなく、1987年に88歳で死去する。
 
・パパリア
 カラブリアのデリアヌオヴァに生まれたアントニオ・パパリアは20世紀初頭にカナダに移民し、アメリカ禁酒法時代の南オンタリオで「密輸業者の王」として知られたカラブリア人ロッコ・ペッリの下で働いていた。
 その息子ジョニー・パパリアは1924年にハミルトンで生まれ、1930年に生まれた弟フランクとともに20代の中盤から麻薬取引にかかわり始め、ハミルトン及び大トロント圏に地盤を築いていく。

 1961年にユダヤ人賭博師マキシー・ブルースタインを暴行した事件が有名である。
 半殺しの目にあったマキシーはその後精神を病み、1973年には被害妄想から自ら友人を撃ち殺しながら、法廷ではその友人の死を否定するところまで行ったという。
出典:「Iced: The Story of Organized Crime in Canada」
 
 1950年代になるとパパリアは、フレンチ・コネクションを築くためにカナダにわたったボナーノ・ファミリーのカーマイン・ギャランテの目に留まり、一時はその下で働いていくことになる。
 その後父の代からのつながりにより、バッファロー・マフィアのボスでありジョセフ・ボナーノの従弟でもあったステファノ・マガディーノを新たな庇護者として選び、バッファローのカポとしてマフィア界にその座を占めることとなる。
 
 パパリアは金儲けは得意だったが、周囲からの敬意を勝ち取るのは不得手だった。
 後にアトランタ連邦刑務所にてヴィト・ジェノヴェーゼにジョー・ヴァラキの殺害を進言したと言われるアグエシ兄弟ともかかわりを持ったが、兄弟の兄のアルバートはマガディーノに殺害され、弟のヴィトはその報復として情報提供者となっている。
 
 ハミルトンで犯罪組織の運営を平穏に続けてきたパパリアだったが、1990年代には庇護者であったバッファロー・ファミリーが没落し、さらには時流に逆らいヘルズ・エンジェルズの縄張りへの出入りを禁止したことで身内からも反感を買い始める。
 
 心身ともに衰えが見え始めていたパパリアに引導を渡したのは、彼と同じカラブリア人であった。
 
・ムシターノ
 「デリアヌオヴァの獣」と呼ばれたアンジェロ・ムシターノは、やはりカラブリア地方のデリアヌオヴァに生まれ、一家の名誉をけがしたとして妹を殺害した後カナダに逃亡すると、そこで犯罪者としての新たなキャリアを築き始める。その甥であるドミニク・ムシターノは1950年代にハミルトンに移住し、弟のアンソニーを従え1995年に死去するまでボスを務める。
 後を継いだ息子のパスクアーレとアンジェロが1997年にレイルウェイ・ストリートにてジョン・パパリアを殺害する。
 奇しくもそれは、パパリアが生まれたのと同じストリートであったという。

 ムシターノ兄弟はパパリア死後にヴィト・リズートと食事をとっている姿を目撃されている。
 
 
 
 
・トロント
 トロントにおいてはカラブリア系が強く、ンドランゲタ(「勇気ある男」の意)は7つのンドリナ(一家、ンドランゲタの構成単位)に350人のメンバーを抱えて、カラブリア人のモントリオールでの対リズート戦争を影ながらに後援してきたとみられている。
 
・ポール・ヴォルプ
 フレンチ・コネクションの立役者の1人である。
 1983年運転手であったカラブリア人ピーター・スカーセラとともにいるところを目撃されたのを最後に、ピアソン空港の車のトランクの中から死体となって発見された。パパリア同様後継者はいなかった。
 スカーセラはリズート・ファミリーと親しく、その後ヘロイン密輸業者を殺害して有罪になっている。
 
・シデルノ・グループ
 カラブリアの貧困にあえぐ小都市シデルノから主にカナダとオーストラリアに散らばった犯罪者たちは、大トロント地域ではコルッシオ、タヴェルネーゼ、ディマリア、フィグリオメーニ、コミッソなどの小グループに分かれていたが、1962年に調停会議「カメラ・ディ・コントローロ」が組織され、一応のまとまりを見せることとなった。
 新天地カナダにおいても母地シデルノと関係が深く、多くの人間が逃亡先にカナダを選ぶなど、「シデルノの犯罪組織の幹部たちはカナダにいる」とシデルノ警察に言われるまでになっている。
 
 1990年代にモントリオールのリズート・ファミリーはガエターノ・パネピントを手先に南オンタリオへの進出を図っており、その際ンドランゲタとの間で小さな抗争があった。パネピントは2000年に殺害されるが、リズートとの不穏な緊張はその後も続き、近年のクーデター後援の動機の一つと思われる。
 またグループは内部でも紛争を抱え、2013年にはサルヴァトーレ・カルウッティが殺されている。
 
・カラウッティ殺害について
 老ニコロ・リズート殺害の容疑者であるカラウッティには以前にリズート・ファミリーと浅からぬ因縁があった。
 リズート・ファミリーのハミルトンでの手下ガエターノ・パネピントが賭博の利権に絡んでドメニコ・ナポリとドメニコ・オッペディサーノの息子アントニオを2000年に殺害しているのだが、カラウッティは両者の友人であったというのだ。

 この件でカラブリアから抗議を受けたヴィトはパネピントを見捨て、パネピントは2000年10月に報復として殺されている。

 カラウッティはまた、リズート・ファミリーとHAにそれぞれ賭博がらみでの負債があり、それを踏み倒そうとしていた。その結果2004年にピエトロ・スカーセラ、HAのパリス・クリストフォロ達からなる混成部隊がカラウッティの「スポンサー」ミケ-レ・モディカを襲撃するが、殺害に失敗し無関係の女性を麻痺させただけで終わった。

 このミケ-レ・モディカはNYのガンビーノ・ファミリーの血縁者だったが、素行の悪さによってカナダへと逃げだす羽目になり、スタテン島の幹部フランク・カリはカナダ人に彼の面倒を見るようにと頼んでいたという。しかしモディカは新天地での麻薬取引でスカーセラとHAの縄張りを侵し、それがこの襲撃につながったと思われる。

「カラウッティ殺害について」参考文献
https://en.wikipedia.org/wiki/Domenico_Oppedisano
カラウッティ殺害
https://www.thestar.com/news/canada/2013/07/13/slaying_of_hitman_and_his_friend_has_expert_wondering_if_montreals_mafia_war_is_coming_to_toronto.html
http://www.torontosun.com/2012/04/01/mobster-jailed-for-russo-shooting-to-be-released

・「トロント」参考文献
マフィア(ンドランゲタ)とトロント
https://panamericancrime.wordpress.com/2016/01/12/the-mafia-and-toronto-an-update/
フランク・パパリアの弔問記事
His brother was Ontario’s pre-eminent Mafia boss, but long-suffering Frank Papalia was still his keeper
「27年前の殺人に依然として口を閉ざす警察」
ポール・ヴォルプはフィラデルフィアのボスニッキー・スカルフォのアトランティック・シティの縄張りに手を触れたから殺されたのではないかと推測している
http://www.torontosun.com/news/torontoandgta/2010/07/10/14673136.html
ジャコモ・ルッピーノ
http://www.cosanostranews.com/2014/04/giacomo-luppino-last-of-canadas-old.html
 
 
 
 
 
 
 
 
・モントリオール・マフィア
 モントリオールはセントローレンス海路の入り口に位置する海運の要所であり、その地の利からカナダにおける麻薬密輸の拠点になってきた。ケベック州全体でイタリア系は約30万人が居住している。
 
 
・カラブリア人の盛衰
 イタリア南部カラブリアにて1911年に生まれたヴィンセンツオ・コトローニは、幼いころに家族でカナダに移民し、弟のジュゼッペとフランクとともに暗黒街で頭角を現してゆく。若き日のコトローニは「ヴィク・ヴィンセント」の名でプロレスラーをやっており、有名なアーマンド・コーヴィルに師事していたという。
 やがて兄弟とともに売春を取り仕切り、1950年代にはルッピーノの元から呼び寄せた同郷のパオロ・ヴィオリを従え、シシリア人ルイージ・グレコとともに暗黒街の顔役の一人になっていた。

(このルイージ・グレコがシシリア人だったかどうかについては異論もある。グレコはナポリ人であり、ナポリ系の勢力の強かったモントリオールで多民族勢力を束ねており、当時シシリア人にはこれといった人物が現れなかったために彼の下についていただけだというのである。ともかく彼は1946年に賭け事に絡んで殺されたユダヤ人ハリー・デーヴィスから組織を受け継ぎ、戦後はイタリアにいたラッキー・ルチアーノとのヘロイン密輸交渉で重要な役割を果たしたという)。
 
 
 一方そのころニューヨークでは、5大ファミリーがこの世の春を謳歌していた。
 しかし東海岸の港湾を支配したガンビーノ、ジェノヴェーゼ、コロンボ、衣服産業地帯を支配していたために港湾利権の必要性の薄かったルチーゼに対し、ボナーノ・ファミリーは密輸に必要な港を持っておらず、その点他のファミリーに対して不利であった。
 そこでジョセフ・ボナーノは、5大ファミリーのコミッションにおいてカナダを縄張りとする権限を得ていたため、腹心カーマイン・ギャランテをモントリオールに派遣し、ファミリー傘下のカポとしてコトローニを組み入れた。
 コトローニはカラブリア人であったが、ボナーノは非力なシシリア人勢力ではなく彼を引き込むことによってモントリオールでの勢力の安定を図ったのである。
 
 ここでボナーノとギャランテ、そしてルチアーノとコルシカ人ギャングたちの描いた絵図は、麻薬を一端モントリオール港に水揚げし、さらにそこから国境を越えアメリカへ持ち込むというもの「フレンチ・コネクション」であった。
 しかしコトローニは自分の縄張りでのヘロイン販売は許さず、ただ南へ流すだけで満足していた。
 
 
・リズート・ファミリーの台頭
 1954年にシシリアからカナダに移民してきたニコロ・リズートは、父の親族や結婚による縁組を通じて親戚に多くのマフィア関係者を持っており、彼らと協力してこの時期から手を出した建設業は、その後半世紀以上にわたってファミリーの富の源泉になっていく。
 1970年代初頭には息子のヴィトも犯罪の世界で頭角を現し、父の出世を援護していった。
 
 その当時「フレンチ・コネクション」は1960年代を通して成功をおさめ、モントリオール暗黒街には莫大な麻薬資金が流入してきていた。
 しかしコトローニに忠実であったルイージ・グレコは72年に死去し、シシリア人派閥を受け継いだニコロ・リズートはマフィアの世界では傍流であるカラブリア人のコトローニをねたみ始め、彼の課す様々な戒めにもいらだちを募らせていった。
 コトローニの衰えによる代理ボスがカラブリア人ヴィオリとなったこともその怒りに油を注いだ。
 
 1970年代はコカインブーム到来以前であり、大規模な密輸ルートは未開拓であった。
 そこでシシリア人派閥のボスとなっていたニコロ・リズートは、シシリア島シクリアナのカントレラ-カルアナ一族と手を組み、ベネズエラ・ルートを開拓、コトローニにかまわずにモントリオール市内でコカインを売り始めた。
 
・パオロ・ヴィオリ殺害
 こうしたリズートの台頭を脅威に感じたコトローニとアンダーボスのヴィオリはNYのボナーノ・ファミリーにリズート殺害の許可を求めるが、リズートはすでに巨大な存在となっていたために黙殺されてしまう。ヴィオリはシシリアにまで飛びボスたちの支持を取り付けようとしたのだが、ただただ冷たくあしらわれるのみであった。
 1978年にヴィオリがリズートに殺害されると、コトローニはNY人脈から勝ち得ていた敬意のために殺害はされなかったものの、引退を余儀なくされることとなった。
 
 リズートはヴィオリ派を攻撃する際に、まず相談役ピエトロ・シアラを殺害し、次に末弟フランセスコ、続いて当のパオロ、最後にロッコを家族との食事の席でスナイパーの狙撃によって殺害している。
 こうしてヴィオリの兄弟はすべて殺害され、殺された3人の兄弟の未亡人、そしてパオロの息子ジュゼッペとドミニクはパオロの義父であったジャコモ・ルッピーノの庇護を求めてハミルトンへと移っている。
 老父ドミニク・ヴィオリは交通事故で死んだロッコの双子の弟を含めて4人の息子に先立たれたという。
 
 その後1981年にボナーノ・ファミリーはクーデター支持の返礼として殺し屋の派遣を要請し、ニコロの息子ヴィト・リズート他3人が反逆的なカポ3人を殺害するためにブルックリンに赴いた。
 この時の様子は映画フェイク(原題Donnie Brasco)に描かれている。
 
 
 その後の25年間はリズート・ファミリーの黄金時代であった。
 リズート親子は自らの地位をコトローニ兄弟の末弟フランクとカラブリア人派閥に納得させ、建設と政治に投資し株価操作詐欺にも絡み、フィリピンの独裁者マルコスの所持していた金塊を不正な手段で「洗浄」したともいわれている。
 対外面では50年代より活動するデュボワ兄弟、ウエスト・エンド・ギャング、新興のHAなどと手を組み、ファミリー内では1988年にニコロがベネズエラで麻薬密輸により8年の服役を宣告されたため、代わってヴィト・リズートがボスの座に就いた。
 
 ヴィトは多彩な出自の者たちを取りまとめるのがうまい「マネージャー」タイプの人間で、もめ事の際には仲介者として頼りにされたといわれ、外部の者をうまく使って組織に泥をつけないのが得意だった。またあえてギャングであることをたいして取り繕うともせず、メディアから逃げ回るようなことはしなかった。
 
 ある時警官にこう言ったという。
「お前らのうちの者の扱い方が好きだ。俺も同じようにしてるからな」
 
 
・リズートの一族
 後に北米最大級のマフィア・ファミリーを築くことになるニコロ(ニコラ)・リズートは、1924年にシシリア島の寒村カットリカ・エラクレアにてヴィト・リズートの息子として生まれた。
 しかし一次大戦後の不況に耐えきれなかった父のヴィトは、移民法改定による南欧系移民への締め付けにもかかわらず、生まれたばかりの息子を置いて義兄弟のカロジェロ・レンダなど数人を伴いアメリカへと移民し、1933年ニコロが9歳の時にニューヨークでギャングの争いが元で殺されてしまう。
 
 やがて養父の下で成長したニコロはマフィオーソの道を歩み、1946年に地元の有力者アントニオ・マンノの娘リベルティーナとの間に生まれた息子に父と同じくヴィトと名付ける。
 またマンノには後にニコロの右腕となるドメニコという息子がおり、故郷に帰っていたカロジェロ・レンダは1939年に息子パオロを設けている。
 
 1954年にリズート一家はカナダへと移民する。1958年にはパオロ・レンダも移民し、その父カロジェロも後に続いた。
 
 新天地カナダでパオロ・レンダはニコロの娘マリアと結婚し、ニコロとは義理の従弟にして義理の息子という関係になった。
 そしてヴィトは1966年にジョヴァンナ・カマレッリと結婚するのだが、ジョヴァンナの父レオナルド・カマレッリは、1955年にやはりカットリカ・エラクレアで「農民市長」と呼ばれ農地改革を進めていたジュゼッペ・スパグノロを殺害してモントリオールに逃亡していた3人のうちの1人である。
  
 ヴィトとパオロ・レンダは成長するにつれ家業の犯罪に手を染めていき、1968年には所有する床屋の建物を放火したとして共に保険金詐欺の疑いで逮捕されている。
 
 1970年代にリズート父子がベネズエラで麻薬コネクションを築く間モントリオールの留守を守っていたのはこの人脈であり、1978年にカラブリア人パオロ・ヴィオリを殺害したのはニコロの義弟ドメニコ・マンノ、アゴスティーノ・カントレラとその義兄弟ジョヴァンニ・ディモーラであった。この殺人でマンノは7年、カントレラは5年の刑を宣告されている。
 
 1980年代からはパオロ・レンダがコンシリエーレ(相談役)を務め、ファミリーの金庫番として財政を監督していた。
 
 レオナルド・カマレッリは2012年に93歳で没している。
 
・「リズートの一族」参考文献
リズートの女たち
http://www.montrealgazette.com/business/what+becomes+rizzuto+women/3816228/story.html
「リズート家のルーツをシシリアに探る」
カットリカにはマフィアの犠牲者スパグノロを記憶するための胸像が立っているという
The Rizzutos’ Sicilian roots: Tracing the Quebec mob’s ties to Cattolica Eraclea
 
 
・リズート・ファミリーの落日
 一方この同じ期間に、かつてはリズートの庇護者であったはずのボナーノ・ファミリーはFBIの捜査によって見る影もなく凋落していった。
 そして2004年にFBIの捜査により逮捕されたボナーノのボスジョセフ・マッシーノが死刑を避けるために証言台に立ち、ファミリーの様々な犯罪を告白する中でヴィトの1981年の殺人についても証言し、ヴィトはアメリカで10年の刑に服すことになった。
 
 同年にカラブリア人フランク・コトローニが死去する。
 その争いをうまく避ける外交能力で多くの人物から尊敬され、また晩年には幼少時代を回顧した料理本なども出していた。
 
 ヴィトが逮捕された後リズート・ファミリーは、父ニコロ・リズート、ヴィトの義兄弟にして相談役パオロ・レンダ、カラブリア人のフランセスコ・アルカディ、ロッコ・ソレシト、ロレンゾ・ジョルダーノ、フランセスコ・デル・バルソの6人が集団指導体制を確立するが、これをかぎつけた警察は「コロッセオ作戦」を開始し2006年にニコロ・リズートとアルカディを逮捕する。
 
 この弱体化を背景にカラブリア人の反攻が始まることとなる。
 
 
・「リズート戦争」
 リズート戦争とは、1970年代後半のヴィオリ兄弟殺害以来リズート一族の栄光の陰で耐え忍んできたカラブリア人派閥が他民族ギャング、ヘルズ・エンジェルズ、そしてンドランゲタの後援を得て、NYの5大ファミリーに次ぐ「第6のファミリー」ともいわれるシシリア系のリズート・ファミリーの乗っ取りをたくらんだ2000年代後半より進行中の抗争である。
 
 詳細は近年の事件のために省略する。
 
 
 主要勢力

・リズート・ファミリー/シシリア人
リズート一族
カントレラ-カルアナ一族
 
      対
 
・カラブリア派連合(ンドランゲタ/カラブリア系/反リズート派等)
 
・ヴィオリ兄弟
 ニコロ・リズートに殺害されたパオロ・ヴィオリの息子ドミニクとジュゼッペである。
 
・コトローニ兄弟
 フランク・コトローニの5人の息子たちである。父の死後は没落しているものの、ミケルがヴィオリ兄弟との接触を確認されている。
 ヴィンセンツオの息子ニックは2001年に死去しており、また孫の一人フランクはボクサーとなっている。
 
・ヴィンセツオ・ルッピーノ
 1926年にカラブリアでジャコモ・ルッピーノの息子として生まれる。
 カラブリア人の強いハミルトンで活動し、暗黒街では目立つ存在ではなかったが、有力者ジョン・パパーリアと親しくパオロ・ヴィオリの義弟でもあった。
 よってヴィオリの息子たちには叔父となる。2009年死去。

・ジュゼッペ・デ・ヴィト
 ンドランゲタの殺し屋。
 2013年に獄中にて自殺。

・ジョセフ・ディ・マウロ
 1943年生まれのカラブリア人(異説あり)。
 1968年にリシャール・ブラスを銃撃したことで名を挙げる。
 2012年殺害。
 
・サルヴァトーレ・モントーニャ
 カナダ生まれシシリア育ちの別名「鉄工サル」「バンビーノ・ボス」。
 弱冠36歳でマッシーノ転向後の混乱するボナーノ・ファミリーのボスとなったが、2009年犯罪者移送によってカナダに送り返される。
 カラブリア派により2011年に殺害。
 
・レイナル・デジャルダン
 1952年にフランス系の血筋に生まれたデジャルダンは20代初頭からマフィアと関係を持ち、妹がカラブリア人ジョセフ・ディ・マウロと結婚したことによりさらにそのつながりは強固なものとなった。
 80年代に入りHAが台頭するとリズート・ファミリーとHAの間をうまく取り持ち、悪名高い幹部モーリス・ブーシェーとも知己を得た。
 1993年に逮捕されるが2004年に釈放される。
 その後カラブリア派についてリズートと戦ったが、サルヴァトーレ・モントーニャ殺害容疑によりふたたび逮捕されている。
 
・ヘルズ・エンジェルズ(HA)カナダ支部
 世界最大のバイカー・ギャングであり、カナダには450人程度のメンバーを持つと言われている。
 1994年から2002年まで続いたロック・マシーンとのケベック・バイカー戦争を制するものの2009年のシャーク作戦によるメンバー156人の逮捕により弱体化。しかし麻薬取引の要所であるケベックにおける再興を狙っている。
 
・ムシターノ・ファミリー
 ハミルトンの最大勢力である。

・ンドランゲタ
 イタリアの「つま先の部分」であるカラブリア発祥の犯罪組織であり、トロントで強い勢力を持っている。
 
 両者には上記以外にも未知の協力者が存在すると推測される。

 またこの抗争はバイカー・ギャングとストリートギャングをも巻き込み、その両者に詳しいGangsters Out Blogのデニス・ワトソン氏は各勢力の陣容を

カラブリア人、ヘルズ・エンジェルズ、クリップス
        対
リズート・ファミリー、ロックマシーン、ブラッズ

 と説明している。
 
 
 簡易年表

2004年
 モントリオールに長年君臨してきたヴィト・リズートがブルックリンでの過去の殺人により逮捕される。2006年からはアメリカで服役する。

2009年
 ヴィト・リズートの息子のニコロが白昼堂々射殺される。
 法的問題によってアメリカにいられなくなったボナーノの代理ボスであるシシリア系のサルヴァトーレ・モンターニャがやってくるが、地位に物を言わせて礼節を欠き、しかもリズート・ファミリーの乗っ取り計画に一枚かんだにもかかわらず欲をかいて両勢力の間をふらついた結果、カラブリア派から憎しみを買うことになってしまう。

2010年
 カラブリア派によってリズート代理ボスのアゴスティーノ・カントレラが殺害される。
 ヴィト・リズートの86歳の父ニコロ・リズートが殺害される。
 家族との食事の席においてのライフル銃による狙撃であり、30年前にやはり家族との食事の席についていた最中にスナイパーによって狙撃されたロッコ・ヴィオリ殺害への明確な意趣返しである。殺害の数日前にはリトル・イタリーでドミニクとジュゼッペのヴィオリ兄弟が目撃されている。
 リズートの相談役パオロ・レンダが失踪。殺害されたとみられている。
 この時期にカフェ、レストラン、葬儀場などリズート・ファミリーが所有する施設が次々に爆破されている。
 
2011年
 サルヴァトーレ・モンターニャがカラブリア派によって殺害される。
 
2012年
 ヴィト・リズート出所。
 カラブリア人ジョセフ・ディ・マウロが殺害される。
 
2013年
 12月にヴィト・リズートが長く患っていた肺がんにより死去する。
 
2016年
 獄中のHAモーリス・ブーシェーが同じく獄中のデジャルダンの殺害をたくらんだとして起訴される。
 デジャルダンはモンターニャ殺害に関与したとして16年の刑を宣告される。
 ロレンゾ・ジョルダーノが殺害される。
 ロッコ・ソレシトが殺害される。

2017年
 5月2日アンジェロ・ムシターノが殺害される。

 2017年現在、リズート・ファミリーは200名を超える正式メンバーと100人を超える関係者を有し、ヴィトの息子で弁護士のレオナルド・リズートとステファノ・ソレシトが指揮している。
 

・「モントリオール・マフィア」参考文献
 
ニコロ・リズート以前
http://morgeti.blogspot.jp/2010/11/before-nicolo-rizzutto.html
ヴィオリ兄弟の殺害
http://coolopolis.blogspot.jp/2010/11/rizzutos-violis-and-story-of-current.html
デジャルダンが16年の刑を宣告される。
http://www.theglobeandmail.com/news/national/quebec-mobster-raynald-desjardins-gets-14-years-in-killing-of-rival/article33367458/
モントリオール・マフィア抗争の裏側にあるもの
https://www.vice.com/en_ca/article/heres-whats-likely-behind-the-montreal-mafias-civil-war
モントリオール暗黒街名士録
A who’s who of the Montreal underworld: The mafiosi, bikers and gangsters swept up in police raids
なぜモントリオールのギャング抗争は再発しているのか
‘Many Montreal mafiosi are very nervous’: Why the city’s criminal gangs are spilling blood again
抗争年表
http://gangsterreport.com/montreal-mob-war-timeline/
サルヴァトーレ・モンターニャの殺害が意味するもの
http://aboutthemafia.com/murder-of-bonanno-mobster-salvatore-montagna-indication-of-dwindling-new-york-mafia-influence-in-canada
「マフィアの没落」という神話
https://panamericancrime.wordpress.com/2015/10/16/the-montreal-connection-refuting-the-myth-of-the-montreal-mafias-demise-december-14th-2011/
ヴィト・リズートの弔問記事
http://www.theglobeandmail.com/news/national/vito-rizutto-the-teflon-don-rose-to-power-with-a-faustian-deal/article16092186/?page=all
1960年代にまでさかのぼる建設業との関係
http://www.montrealgazette.com/business/Rizzuto+construction+links+traced+Montreal/9450396/story.html
フランク・コトローニの弔問記事
http://www.nicaso.com/pages/doc_page169.html
フランク・コトローニの息子が兄弟の家を燃やす
Feud between brothers of former Mob boss
カナダタイトルを目指す「フランク・コトローニ」
http://www.torontosun.com/2015/08/27/mobsters-son-cotroni-fighting-for-canadian-title
 
 
 
 
 
・終わりに
 成文化された長大な歴史を持つカナダ・マフィアをどうにか要約するために、やや駆け足気味になってしまったので、ここで要点を整理してみたい。
 
 リズート戦争は「リズート・ファミリー対カラブリア派連合」である。
 しかし上記に示したように、カラブリア派連合には中心となる大人物がおらず、団結心に欠ける中小の勢力が群となってリズートに攻撃を仕掛けているような形である。連合の誰をとってもヴィト・リズートの向こうを張るには小物すぎる。
 
 リズート戦争の核心となるのはやはりリズート家の人々であろう。
 老ニコロ・リズートの生い立ち、ヴィオリ家への残忍な追い込み方、そして映画ゴッドファーザー2を思わせる「けじめを取られた」最後など、その生き様はまさに彼ら自身の自嘲的な反語であるところの「名誉ある男」そのものである。抗争相手に拉致され闇に消えた相談役パオロ・レンダ、逆に天寿を全うした改革者殺しレオナルド・カマレッリなども彼にふさわしい取り巻きであったと言うしかない。
 その息子ヴィトもリズートをかつての「本家」ボナーノを凌駕するまでに育て上げた大悪党であり、彼が獄中にいる隙を狙って仕掛けたカラブリア派連合は、彼の出所とともにあわや一網打尽にされるところであったという。
 
 その他にもヴィオリ家、カントレラ-カルアナ一族、イタリア人以外なら大量殺人鬼「猫」のリシャール・ブラス、暴行後少しづつ精神を病んでいった賭博師マキシー・ブルースタインなど鮮烈な印象を残す人々は多い。
 
 ちなみにリズート家の系譜は
 ヴィト(1933年殺害)→ニコロ(2010年殺害)→ヴィト(2013年死去)→ニコロ(2009年殺害)、レオナルド
 となる。
 
 
 半世紀を超える歴史を持つ複雑な抗争なので筆者にも理解が足りない。間違いがあったら申し訳ない。
 
 「マフィア」と総称される南イタリア系の犯罪者社会については世間の関心も高く、実力ある文筆家が多くの労作を発表している。
 ここで改めて彼らに感謝したい。
 
 
 
・参考文献について
 学術論文でもあるまいしあまり正確さにはこだわらなかったうえに、マフィアはさすがにウォッチャーが多く、ネット上に大量の情報が存在するので、参考文献の扱いが雑になってしまった。
 
 en.wikipedia.org、mafia.wikia.comは全面的に参照したので一部のみ特筆した。cosanostranews.com、gangstersout.blogspotなども非常に勉強になったが、参考文献欄に書き洩らしたアドレスも多いと思う。
 
 
 もちろん筆者にマフィアとの面識などあるわけもなく、言うなれば英語圏のギャング・ウォッチャーに共通した知識に基づいたことしか書いていない。
 
 より詳しく知りたい方にはその共通知識のソースである以下の書籍がおすすめである。

The Sixth Family Adrian Humphreys, Lee Lamothe
Iced: The Story of Organized Crime in Canada  Stephen Schneider
Business or Blood: Mafia Boss Vito Rizzuto’s Last War  Peter Edwards
Mafia Inc.: The Long, Bloody Reign of Canada’s Sicilian Clan  Andre Cedilot
Montreal’s Irish Mafia   D’Arcy O’Connor

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